『凄い時代−勝負は二〇一一年』 堺屋太一著 20098月 講談社

 

 

堺屋太一氏お得意の社会経済論である。昨年来の世界的な不況の中で、各国との比較の上でも日本の経済の落ち込みは最も激しい。景気の先行きばかりでなく、政治の混乱、社会の老齢化と相まって、日本の社会はまさにうつむき加減の時代に入っている。

 

団塊の世代が作り上げた規格品大量生産に基づく日本の近代工業化社会は終焉を迎えた。グローバル化の中で、国を跨いだ製造業の水平分業はますます進んでいく。堺屋氏に言わせれば、「もの作り回帰」と言う言葉は耳当たりはよいが、今の実体は、最新技術を使った工場が中国やアジア諸国に移転する中で、古い工場と高齢化した熟練工だけが国内に取り残されただけである。さらに彼は、その正体はもの作りの成長ではなく、知価分野を官僚規制で封じられた日本の活力が働き場所を求めてのたうち回る姿であるとも言う。

 

堺屋氏が「知価」という言葉を使ったのは1980年代のことである。しかし、日本の社会は脱工業化を進めることが出来ず、官僚による様々な規制がその後も続いた。経済バブルが弾けた後も、日本は対応を先送りにして「失われた10年」を作った。アジア通貨危機で、初めて本格的に対応し始めたがそれは正鵠を得たものではなく、結局、次の「偽りの10年」を作った。

 

たまたま、2000年中頃からの円安に支えられて輸出が伸びたおかげで、経済が回復したように見えたものの、実はその時点でもはや日本の経済は世界の一流ではなくなっていた。いみじくも20081月、衆議院の経済演説で当時の大田経済財政政策担当大臣が使った言葉通りである。

 

小泉内閣で構造改革の端緒が開かれたと思ったものの、その後続いた安倍、福田、麻生内閣の下で、改革は捨て去られた。日本は今や、世界から取り残されるか否かという正念場に立たされていると心得るべきであろう。官僚体制からの脱却、地方分権、教育改革、グローバル化への適応など急ぎ改革しなければならない課題は山積している。

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の20091228日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

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