『母−オモニ』 姜尚中著 20106月 集英社

 

 

政治学者、いや政治哲学者といった方が私のイメージに近い姜尚中の手による、母(オモニ)に捧げる鎮魂歌である。

 

彼の両親は、戦前に当時の朝鮮から日本に渡ったいわゆる在日韓国人一世である。終戦直前に東京から熊本に移り住み、そこで在日であるが故の幾多の苦労を経験しながらも、生計を立て、立派に子供たちを育てていった。姜尚中も熊本で生まれ、大学に進むまでそこで育った。

 

当時の時代背景から、オモニは教育を受ける機会がないまま、16歳で日本に渡らざるを得なかった。それゆえに、字が読み書きできないままその生涯を閉じた。

 

オモニは、終戦時の混乱、戦後の誰もが飢えていた中で、夫とともに廃品回収業を営み、家族のために働き続けた。在日という言われ無き差別を受けながらも、一生懸命、誠実に生きていったオモニの姿は、姜尚中の心の奥底に深く刻み込まれている。

 

確かに学問を受ける機会はなかったが、オモニは世の中を実地で勉強してきた。字の書けないオモニが、姜尚中に残したテープに声で残した「手紙」には、次のようなくだりがある。

 

「世の中にはよか人もおるし、悪か人もおる。情のある人もいれば、なか人もおる。・・・・・どの人にも同じことは、カネが嫌いな人はおらんということたい。・・・・でも、金に汚かこつしちゃいかんけん。困った人がおるなら、カネは使わんと。カネは使わんと、増えんけんね」

 

まさに人生を体で学んだ「賢さ」である。

 

姜尚中自身、大学に進むまで在日であることを避けて通りたかったという。その彼も、今や「姜尚中」であることと、日本名「永野鉄男」であることにこだわりを持たなくなったという。

 

私も、たまたま、韓国の仕事をする機会があったが、今の若い人たちには、もはや日本と韓国との間の過去のわだかまりは無くなっているように感じる。在日問題と言っても、多くの人たちにはピンと来なくなっているのが現実であろう。過去の歴史を知るという点からも、読む価値のある本である。

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の20108 23日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

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