『唐牛伝 敗者の戦後漂流』 佐野眞一 20168月 小学館

 

 

 週刊朝日に連載した当時の大阪市長橋下徹の人物論の掲載が原因で執筆から遠ざかっていた佐野眞一の久々の作品である。今更ながらであるが、地道なインタビューで検証しながら事実関係を追い続けるというスタイルは変わらない。依然として、社会派のノンフィクション作家としての切れ味はさすがである。

 

 唐牛健太郎、全学連、そして60年安保といってもそれが分かる人は今や少ない。当然である。もう57年も前の話なのだから、その記憶があるのは団塊の世代以前に遡る。当時、私もまだ小学生であり、国会を取り巻いた全学連の学生が警官隊と衝突し、樺美智子が死んだというニュースに記憶はあるものの、その背景を本当に理解していたわけではない。

 

 1960年というのは終戦から僅か15年後のことである。戦前、満州国擁立という軍部の構想を仕立てた岸信介という人物が首相となり、日本の国柄を大きく右に切ろうとしていた時代、左翼的学生がこれに対峙し、退陣に追い込んだ。これはイデオロギーの衝突というよりも、戦後占領下にあった日本が新しい日本としてのあり方に向けて動き出す中で起きたナショナリズムの対立だったのかも知れない。

 

 全学連を左翼思想の学生連盟と捉えることは容易いが、当時は様々な階層の人が国の行く末を憂いていた。

 

戦前の日本共産党から転向し、戦後は右翼のフィクサーとも言われた田中清玄やヤクザの親分である山口目三代目組長田岡一雄といった、おおよそ左翼学生とは異質と見える世界の人物が唐牛の活動を支援した。ある意味、あらゆる階層の人々が天下国家の行く末を真面目に案じていた。

 

 当時の全学連の執行部に籍を置いた人達の中には、その後、医者となり社会貢献に尽くした者、社会学者や経済学者として名を上げた者もいた。日本の社会をリードするエリートにもなり得る人材が、学生ながら政治を憂いて声を上げ、行動した時代であった。

 

 唐牛は安保闘争の敗北の後(岸の手で安保条約が成立したという点で敗北であるが、岸を退陣させたという点では勝利であった)、その世界から決別し、与論、紋別、喜界島と彷徨する。それでも、彼の人を引きつける力、行動力を買う人が消えたわけではなかった。

 

彼が癌でこの世を去る前には、参謀として徳洲会を作った徳田虎夫の活動を助けた。(ちなみに、徳田虎夫は猪瀬元知事の政治スキャンダルで新聞を賑わせたが、彼の徳洲会は日本医師会を向こうに回し、医療活動に貢献したという点で、私は非常に評価している)

 

 佐野氏の言葉を借りれば、ポピュリズムと反知性主義が吹き荒れる今の日本である(いや、世界中がそうである)。唐牛の生きた時代と彼の人生を知って欲しいと言う意味で、この本を読むことをお勧めする。

 

 

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