『これからの「正義」の話をしよう−いまを生き延びるための哲学』 マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳 20105月 早川書房

 

 

政治哲学と言われても、日本の政治を見ている限り、「何のことやら」と思うのは、私ばかりではあるまい。日本の大学の法律あるいは政治学部で、どの程度、哲学を教えているのであろう。せいぜい、教養の単位として履修するにとどまるのではなかろうか。

 

ハーバード大学の学部生に対して、政治哲学をカリキュラムの一つとして、学生が哲学者に対して、あるいは学生同士で正義を議論するというのは、アメリカならではの話である。これは、社会正義として公民権運動が起き、裁判でその正義を勝ち取り、その間には少なからず血も流されたという、アメリカの歴史的、社会的背景ゆえであろう。

 

本書は、マイケル・サンデルが行ってきたハーバード大学での講義をベースに、法科大学院(ロースクール)の学生が支援し、一般向けに纏めたものである。

 

正義とは何であるのか。社会にとっての最大幸福の追求が本当に正義に叶っているのか、自由至上主義と社会に対する忠誠とのジレンマはどうとらえるべきなのか、まさに青臭い議論である。しかし、そのような青臭い議論が日本の裁判、政治の世界で、どの程度なされてきたのだろうか。日本の行政裁判で、社会正義にまで踏み込んだ判例がどれほどあるのだろうか。やはり、日米では、民主主義の歴史の長さがあまりにも違いすぎる。

 

私などは、遙か昔、高校生時代にちょっとだけほんの入り口を囓ったにすぎない———アリストテレスの世界、カントの哲学など———哲学を、国家への忠誠(典型的な例が徴兵である)、アファーマティブアクション、社会の連帯と個人主義、同性婚といった現代社会が抱える様々な問題に組み込んで、議論を進めていく。

 

様々な人種が混ざり合い、それぞれが差別する側、あるいは差別される側にいたという歴史的重み、宗教的正義に基づく信念(妊娠中絶や同性婚問題などは、その典型である)との争い、強い国家と強い個人主義、自由と民主主義を全ての基盤として成り立っているアメリカ社会ならではの学問的議論である。

 

余談になるが、私の娘が現在ロースクールで学んでいる。彼女に言わせれば、日本では司法試験に合格することが最大の目的としてカリキュラムが存在する。が、このハーバード大のように、社会にとって法はどうあるべきか、という視点で講義が行われることはないという。残念な話である。

 

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の2012110日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

 

説明: 説明: SY01265_「古い書評」目次に戻る。

 

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: door「ホームページ」に戻る。