『独立外交官−国際政治の闇を知りつくした男の挑戦』 カーン・ロス著 北村陽子訳 英治出版 20092

 

 

著者カーン・ロスは、英国外務省のエリートとして積み上げたキャリアを捨て、大国に翻弄される貧しく弱小な国々(例えば、コソボやソマリランド)に対して外交アドバイスを提供するための非営利団体「インデペンデント・ディプロマット」を立ち上げた男である。そして、この本は彼の回顧録である。

 

外交官という言葉には、一種独特の響きがある。彼らは、下々の想像を超えた別世界にいるエリートであり、国益を左右する重大な仕事に携わり、そしてその中身は秘密のベールに隠されている。ま、英国に限らず、日本でもそんなイメージを抱くが、半面、たまに新聞を賑わす大使館の不祥事を耳にすると、なにやら外交とは前時代的な形式の中に閉じこもった非常に閉鎖的な官僚の世界という気もする。私も経験したことがあるが、確か、大使あての手紙の宛名は、「何々大使殿」ではなく、「何々大使閣下」でなければならなかった。

 

さて、カーン・ロスは、英国外務省に入省後、15年間にわたって各地の大使館と国連安全保障理事会の場で数多くの外交交渉を経験した。彼がそこで目にしたものは、外交とは、国益という建前の中で、決して責任を問われることのない官僚が恣意的に判断を加えていくというプロセスであり、国連安全保障理事会の場では、常任理事国は圧倒的な政治力を持つが、他方、貧しい弱小国は理事会に出ても座る席すらないという実態であった。このような現実を見て、外交官や大使の中には、多少なりとも道義的な後ろめたさを感じる者もいるが、それを公に口にすることは出来ない。そうすることは、官僚組織の掟に刃向かうことであり、言うまでもなく外交官としての将来を棒に振ることになる。

 

本書では、彼が安保理の折衝において経験した様々な出来事、とりわけイラクに対する国連制裁決議を巡る理事国間の駆け引きの裏舞台で何が起きていたかが、克明に描かれている。イラク問題では、フセイン政権を倒すことが正義であるという価値観しか持たない米英の意志が強く働いていた。結果として、大量破壊兵器を隠しているという状況証拠を巧妙に積み上げ、安保理の合意を取り付け、イラクに侵攻し、そしてフセインを葬った(しかし、大量破壊兵器などは存在しなかった)。

 

当時のブッシュ政権にとっては、当初からフセイン政権を崩壊させるという選択肢を安保理で認めさせることが全てであり、他の妥協案について協議はするが、それはイラク侵攻に正義を与えるための手続きでしかなかった。新保守主義に則ったブッシュ政権の国益としての価値観は「敵対する政権には真っ向から対峙する」というものであった。

 

戦争という極限状態の中で多くの人命が翻弄される大問題を取り扱う国連安保理において、何が起きていたかを知れば、一般人には不条理としか思えない。

 

外交の中で演じられていた虚構、神話を暴いた、彼のいくつかのエピソードは決して英国だけの話ではない。本書は、外交とは何であるのか、大使や外交官の役割とは何であるのかを考える上で、多くの示唆を与えてくれる。

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の20091124日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

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