『江戸しぐさの正体——教育をむしばむ偽りの伝統』 原田実 2014年8月 星海社
私の記憶にも残っている。随分昔の話になるが、東京メトロ(営団地下鉄)の駅に「江戸しぐさ」と題したマナーの啓発ポスターが貼ってあった。
ポスターは結構奇抜な図柄で印象は強かった。幾つかのお話しがポスターとして掲載され、その主張は江戸時代には他人への気遣いがあり、それが社会を住みよいものにしていたというメッセージであった。社会道徳(この場合は地下鉄に乗る際のマナー)の向上を狙いとしていたものであったと思う。
この江戸しぐさ、ちょっとしたブームを作り、ついには文科省ご推薦の道徳の教科書にまで登場するに至った。
一方、この手の道徳のお話しには何となく胡散臭さがついて回る。
ご多分に漏れず、「江戸しぐさ」も1980年代に創作されたお話しで、それ以降、話しの数も膨れあがったというのが真実のようである。著者によれば、「江戸しぐさ」の存在を示す古文書はどこにもなく、歴史学的には全くの眉唾どころか、虚偽であるという。
「江戸しぐさ」のお話しを作った芝三光と名乗る人物についても、その経歴を調べている。ご当人に詐欺的な意図は無かったようであるが、相当いい加減なホラ話が出てくる。
東京メトロのポスターにとどまっていればまだしも、文科省までその話の片棒を担いで道徳の教材にしたとなると、ご愛敬では済まされない。完全に歴史の捏造である。
虚偽をもって道徳を語るのであれば、道徳そのものの土台が崩れ落ちる。
そう言えばこんな事件を思い出した。バブルが弾ける寸前の頃だったと思う。
「一杯のかけそば」というお涙頂戴の人情話を講演して、全国を回った男がいた。確か、栗良平と名乗っていた。この話、実は作り話であったことがバレてしまい、いつの間にか世間からは忘れ去られた。しかしこの御仁、それにも懲りず、その後も詐欺行為を繰り返したという後日談がある。