『みんなの道徳解体新書』 パオロ・マッツァリーノ 201611月 ちくまプリマー新書

 

 

これまで教科外の活動であった道徳が来年度から特別の教科となる。つまり格上げである。

 

道徳を教科として教えるべきと言う話は、これまで何度となく繰り返されてきた。

 

とりわけ保守派の政治家がお好きなテーマであり、それに同調する文化人が後押してきた。要は、今の若い者は自分勝手で、他人のことなど考えもしない。昔はもっと社会秩序が守られていた。ま、おおよそこの手の話であり、老人の愚痴と思った方が良い。

 

ちなみに、加計学園問題で叩かれ続けている安倍首相は道徳教育にご熱心であり、かの森友学園の籠池氏も教育勅語を金科玉条の如く崇めていた。ロッキード収賄事件で逮捕された当時の田中首相も、道徳教育にご執心であったそうである(私はこの本を読んで初めて知った)。

 

言わずもがな道徳教育の必要性を説く人物には胡散臭さが付きまとう。道徳を口にする輩ほどズルが得意で、モラルに欠けていることが多いというのが私の確信である。

 

さて、この本は「道徳は失われたのか」という疑問から話が始まり、道徳教科書(いや正式科目でなかったのだから副読本である)に載る傑作選、と言うよりも、おもしろすぎるお話し(ある意味ナンセンス小話)を痛快にもバッサバッサと切っていく。

 

筆者はモラルというものを馬鹿にしているわけではない。

 

道徳教育の問題は、概ね為政者や年寄りが昔の倫理観を押し付けていること、その考えが偏狭すぎることにある。つまり、「なぜ」という問いを封じておいて、人はこうあるべき、社会はこうあるべきという価値観の押し付けに根ざしていることに起因する。

 

そもそも、若い人が道徳を失っているという話自体が間違っている。ましてや、戦前の人が今より優れた道徳観をもっていたという話などは全くの大嘘である。

 

若年層の犯罪率は現在の方が遙かに低いし、昔は公園、観光地、そして列車の中では平気でゴミが撒き散らかされていた。そして、社会道徳と言うのならば、今、目に余る行為をしているのは若者達より、明らかに老人の方が多いというのが私の観察である。

 

社会の倫理観は、現在の方が遙かに高い。政治の世界はまさにそれを映している。

 

道徳、道徳と言っていた田中角栄が妾を囲っていたことは誰でも知っているが、それで政治家の資質を問われることはなかった。むしろ、男の甲斐性くらいにしか捉えられていなかった。しかし、今、政治家が不倫問題を起こせば政治生命を失う。

 

真面目に考えれば政治家や役人がご熱心な道徳教育には相当胡散臭さがある。

 

最後の極めつけにもう一つ。ビートたけしが放った言葉。「(安倍政権の道徳教育に対して)道徳を守れないお前らが道徳を語るな」

 

 

 

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