『戦艦武蔵忘れられた巨艦の航跡』 一ノ瀬俊也 20167月 中央新書

 

 

 戦艦大和に比べると、武蔵の存在は地味である。大和には沖縄戦への最後の出撃に見られる滅びの美学があり、華やかな脚光が与えられたが、武蔵にはそれがなかった。

 

 就役後僅か2年で、何ら戦果を上げることなく沈没したことで、兵器として時代遅れの無用の長物の代名詞のように言われたこと、さらにはレイテ沖海戦で武蔵が沈んだ際の生存者の多くが、その沈没の情報が内地で広がることを恐れた軍部の判断(言わば口封じ)でフィリピンに留め置かれ、満足な食料と医療品が与えられないまま取り残されたことが武蔵に暗い影を落とした。

 

 武蔵に関する著書は幾つかあり、著者(一ノ瀬)は各著書の視点、そしてそれぞれが因って立つ思想を分析している。武蔵本は、武蔵の悲惨な最期を戦争責任にまで問う形で書いたもの、単に事実と思われる事象だけを眈々と書き綴ったものと、様々である。それらの出版物を比較することで、歴史小説のあり方を問うている。そして事実の記述とは、それぞれの著作者の判断で取捨選択されるという一ノ瀬の指摘はそれなりに面白い。

 

 恐らく著者(一ノ瀬)は、歴史を語ることは単に事実(と思われる事柄)を並べるだけではなく、そこには「なぜ、それに至ったか」という問い掛けが必要と主張しているように見えるが、余り明確に締めくくってはいない。この点で、アマゾンのカスタマーレビューで意見が出ているように、著者が何を言いたいのかよく分からないというコメントがあたっている部分はある。

 

 

 

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