逗子の別荘跡(2015/3/26

 

 

明治から太平洋戦争が終わるまで、葉山、逗子、そして鎌倉には、上流階級やお金持ちが所有する数多くの別荘があった。別荘ではないが、1980年代の中頃まで営業していた「なぎさホテル」は、奈良ホテル、日光金谷ホテル、そして箱根富士屋ホテルと並ぶ名門であった。そのカレーは、大正天皇がいたくお気に召し、昼食に逗子までお見えになったと伝えられる。

 

戦後の財閥解体、農地解放、貴族制度の廃止など、社会体制が大きく変化したことで、別荘は大企業の保養所として買い取られ、その保養所となった施設もバブル経済の崩壊に伴い、企業が遊休資産の処分を進めた結果、マンション、レストラン、あるいは細かく区分されて宅地分譲へと形を変えていった。そして、そのような変遷を経て、現在、逗子地区に残っている別荘の数はごく限られたものとなった。

 

つい先日、別荘跡地を訪ねようという催しがあり、およそ半日、逗子の海岸近辺を歩き回る機会があったので、その中から幾つかの場所を写真で紹介しよう。

 

 

新潟の豪農、伊藤家の別荘であった。現在、敷地の一部は駐車場となったが、家屋はカルチャークラブとして使われている。この黒門は、その昔江戸にあったものをここに移設したとのことである。

左の写真の黒門の奥にある伊藤家別荘の当時の様子を描いた絵である。現在も、建物が残っている。

英国人ラウダー氏の別荘、その後日本興業の寮に変わり、現在はマンションが建っている。その隣にワーミング邸があったが、関東大震災で壊れ、その跡地に岩下子爵が「なぎさホテル」を建てた。現在はファミリーレストラン(夢庵)が建っている。

長島邸の敷地の一部にシネマアミーゴがある。飲み物を手にしながら古い名作を楽しむという、大人の世界を提供する。この建物の後ろに、長島邸が残っている。

 

脇村邸。現在は逗子市が所有する。昭和初期の別荘建築の姿を完璧に残している。

上の写真の裏にある長島邸を田越川から見た姿である。文化庁登録有形文化財に指定されている。1900年に竣工。

 

 

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