新国立競技場建設の迷走 (2015/7/28)

 

 

お値段2520億円也のザハ・ハディド案を捨て、新国立競技場の建設計画が白紙撤回になったことは、まことに結構な話である。が、だれもその責任を取らないというのは、まさに日本の政治とお役所仕事そのものを表している。いえいえ、今朝の新聞によれば、新国立競技場を担当するスポーツ・青少年局の久保公人局長が詰め腹を切らされたとのことである。ただし、建て前上は後進に道を譲るためだという。

 

それでも、政治の世界だけは、無責任がまかり通る。安倍首相は710日の衆院特別委員会で計画の見直しを否定しておきながら、その1週間後には、世論の散々たる非難を受けて、白紙撤回を決定した。そして、「2500億円くらいなんとかならんか」とおっしゃった森喜朗・元首相は、手のひらを返したように「ドロッと垂れた生ガキのよう」、「実は好きじゃなかった」と、これまた稚拙な言い訳をする。そうそう、最も責任を取るべき下村文科相からは、「明確な責任者が誰かわからないまま来てしまった」と他人事のような発言しか聞こえてこなかった。

 

唯一、政治家でまともな感覚を持っていたのは桝添都知事くらいである。彼は「担当局で不祥事があったら局長は辞任し、更迭されるのは当たり前。信賞必罰をできない長は自ら辞任するべきだ」と下村文科相に担当局長の更迭を求めていた。今回の久保公人局長の辞任はその意に沿ったものと言える。

 

そういえば、昭和の三大馬鹿査定というのがありました。戦艦大和の建造、伊勢湾干拓、そして青函トンネルである。公共事業の常であるが、税金は所詮他人の金。役人は何かでっかい仕事をやれば、手柄になる。政治家も同じである。ただし、造った後の責任など知るわけ無い。そして、その巨額のつけとお勘定書きは納税者へと廻る。

 

最後にもう一つ、公共事業でお役人がよく使う言葉がありました。小さく(1300億円)産んで、大きく(2520億円)育てる。

 

 

 

 

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