福島第一原発事故から一カ月半 (2011/4/30)
一昨日は東日本大震災の49日目であった。未だに死者に匹敵する数の行方不明者が残されていることが、震災の規模とその被害が如何に大きかったかを物語る。ただただ、亡くなられた方々のご冥福を祈るばかりである。
今回の震災が日本社会に与えた教訓は三つある。地震そのものへの備え、地震によって引き起こされる津波への備え、そして地震と津波よって引き起こされる原子力発電所の事故への備えである。今回の災害では、前者の二つは天災であったが、三つ目の原発事故は明らかに人災である。しかも、その人災は、日本特有の構造的な欠陥であったといえる。
福島第一の事故への当初の対応は、相当混乱したものであった。当事者の東京電力と規制機関である原子力・安全保安員の情報開示には、国内ばかりか、国際機関や海外からも、かなりの非難が上がった。どちらも意図的に情報を隠したとは思わないが、このような大事故に対する備えのなかったこととが、あまりにも日本的、構造的な欠陥であった。
その裏にあるものは、原子力規制の透明性と説明責任、そして東電のガバナンスの欠如である。事故が起きた直後に東電が発した弁解は、今回の事故は想定外という言葉であった。要は、想定していないから、事故への備えもしていなかったという言い訳である。なにやら、太平洋戦争当時の日本軍の発想を思い出す。日本軍は勇猛無比であり、戦に負けることはない。だから、負けた場合の対応など考えもしない、という思考回路である。
とりわけ、ガバナンスの欠如は、電力会社の最大の問題点であろう。日本の電力会社は形の上では民間企業であるが、実態は公益事業という言葉に守られた地域独占企業であり、その体質はきわめて役所的である。10年ほど前、海外に倣い、日本も電力自由化が議論された。形の上では、2005年には契約電力50kW以上の高圧需要家まで自由化の対象が拡大されたが、未だに新規参入者のシェアは電力総需要に対して1%そこそこにすぎず、地域独占体制は完全に守られている。電力会社にとって、かかった費用を電気料金として回収できる仕組みはしっかりと守られている。その結果、自らリスクを取り、利益を上げ、企業の存続を守るという経営思想はきわめて希薄となる。社長とは社内の出世競争の上がりの席であり、強い経営のリーダーシップは求められない。
事実、今回の原発事故で東電の清水社長の存在感はどこにもなかった。事故発生の三日後の記者会見を最後に、体調不良を理由に雲隠れしてしまった。これは、一昨年から昨年にかけて、米国で起きたトヨタ自動車の急加速事故問題への豊田社長の対応と比べると非常に対照的である。豊田社長も初動にはいろいろと非難もあったが、体勢を立て直してからは、問題の収束に向けて、社長自らが問題解決に向けて正面に立ち、ユーザー、米国議会に対して積極的に発言していった。
一方、清水社長は、震災一カ月経って復帰したものの、きわめて影が薄い。さらに印象を悪くしたのは、原子力事故の補償問題が動き出すなか、4月28日には、清水社長が原子力損害賠償法の例外規定を持ち出し、免責もあり得ると発言したこと、および海江田経済産業相が役員報酬の50%カットを決めた東電の姿勢を生ぬるいと批判したことに対し、「大変厳しい(リストラ策)と考えている」とマスコミを相手に反論したことである。国民感情を考えれば、そのような発言がどういう結果を招くかという思慮はなかったのだろうか。前述の豊田社長には、トヨタ自動車といえどもユーザーとの信頼関係が崩れれば市場から見放され、企業は存続しなくなるという強い危機感があった。しかし、東電の清水社長には、市場云々といったところで、結局のところ需要家は東電に電力供給を依存せざるをえず、経営にとって市場への対応はさして重要問題にはなりえないという奢りがある。その結果、政治的な駆け引きで問題を解決しようという行動に走る。
今回の原発事故をきっかけに、原子力政策の根本的な見直しは避けられない。原子力発電の根幹に係わる電気事業制度についても、10年前に自由化を議論した時点に戻り、発送配電を垂直統合した現在の地域独占体制を抜本的に見直すべきである。少なくとも、自由化に強硬に反対してきた電力会社がその理由としてあげたものは、高い品質で安定的な電力供給義務を果たすというものであった。しかし、原発事故後の輪番停電により、東電はそれを完全に放棄した。この夏には、深刻な電力不足と、大規模な停電が確実に起きる。しかも、電力不足の解消が1〜2年で解決できる見通しは全くない。
(注)菅総理は、4月29日の衆議院予算委員会で、清水社長が持ち出した「免責」を明確に否定した。清水社長の発言は、自ら傷口を広げる結果を招いた。