『機密費外交—なぜ日中戦争は避けられなかったのか』 井上寿一 201812月 講談社現代新書

 

 

満州事変から盧溝橋事件までの日中戦争開始に至る歴史、まさに昭和史の一コマを機密費の証憑から読み解いたものである。

 

日中戦争の原因が関東軍の暴走と、それを止められなかった陸軍中央部と政府にあることは、昭和史を知る者にとってごく常識的な話である。

 

しかしその裏で、一触即発状態の日中関係を巡る外務省と陸軍との駆け引きばかりでなく、同じ外務省内においても東京と現地公使館との間に大きな溝があった。

 

満州事件、そして上海事件へと険悪化が進む日中関係を少しでも改善し、戦争を避けたい現地公使館と、それに対してただただ満州の権益を守ることがその存在意義と考える関東軍との間には、内なる駆け引きが存在していた。

 

機密費には諜報、接待、対外的宣伝など様々な使途がある。諜報、すなわちインテリジェンス活動には諜者の雇用があり、情報を集めるための買収や飲み食いの金は必要である。

 

対外宣伝活動、特に蒋介石政府に対する喧伝、通信社、新聞、出版を通した情報操作もあり得る話である。接待費は外交上必要な費用であるが、外務省が関東軍幹部を接待する、つまり官官接待も相当重要であった。

 

気に入らないとなれば、直ぐに腰の日本刀を抜いて相手を威嚇したがる軍人は珍しくもなかった。現地公使館がそんな関東軍が常に絡んでくる中国外交を進めるには、少なくとも軍人との個人的な結び付きを深めることが不可欠であった。芸者を交えた宴会はそれなりの効果があったようである。

 

満州事変を調査するために国連から派遣されたリットン調査団に対しても、連日の接待、宴会攻勢が掛けられた。もっとも、調査団側は余り楽しんでいなかったようで、むしろ癖壁としていたという。芸者を含めた宴会など嬉しくも楽しくもないということである。

 

そんなわけで、たかが機密費の領収書ではあるが、日中関係が日々目まぐるしく変わっていく中で、現地の外交官がどのような手を打とうとしたのか、機密費の使い方がそれを教えてくれる。昭和史を語る上で面白い切り口である。

 

最後に著者が書いているが、日中戦争に至るまでの外交は現在の日中関係にも大きな示唆を与えてくれる。当時の日本と中国との関係を入れ替えてやれば、状況が類似する。今の中国が満州事変以降の日本の姿に向かっている(日本化)というのは面白い表現である。

 

 

 

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