河村名古屋市長「南京事件」発言の行方 (2012/2/25)

 

 

名古屋の河村市長が「南京事件はなかったのではないか」と発言したことの波紋が広がり、ご当人も、ここに至って、弱気の虫が出てきたようである。

 

事の詳細は、ウェブで検索すればいやと言うほど関連記事が出てくるので、それにお任せするが、要点は、南京市からの訪問団が表敬で市長と面談した際に、このような発言を行い、当然のことながら、中国側からは大きな反発が出て、名古屋との友好関係の棚上げや、3月に予定する「南京ジャパンウィーク」開催への影響も取りざたされ始めたと、いう次第である。

 

ブログなどでの賛否両論もかなり出ているが、その中身は、いわゆる「2チャンネル」的な言い合いが多い。そして、彼の発言を支持する意見は多いように見える。

 

河村市長の個人的な考え方について、とやかく言う筋合いはないが、あの発言は市長として先を考えたものとは思えない。日頃から思っていることを、ちょっと言ってみたにすぎないという程度であろう。しかし、それでは、政治家としてあまりにもお粗末すぎる。河村発言に対して、中国側がどう対応するかは、容易に想像できるし、それを踏まえた上で、喧嘩を売るというならまだ分かるが、そんな思慮は、端からなかったのであろう。

 

であるが故に、発言二日後、民主党の近藤昭一衆院議員(愛知3区)との会談で、「発言は個人的見解で、市長として南京市の訪問団へ伝えたのは儀礼上、不適切だった」と表明したと、地元の中日新聞が伝えている。

 

これでは、ちょっと喧嘩を売ってみたが、相手の剣幕に驚いて、しっぽを巻いてしまったにすぎない。

 

南京事件の問題は、両国にとって政治問題である。個人の立場で、「事件は無かった」というのは勝手であるが、市長の立場で、相手を巻き込んでそれを検証しようというならば、相当の準備と覚悟を決めた上で進める話である。数年前に、二国間で事件に関わる検証委員会を開いたが、両国の意見は隔たりを持ったままとなった。中国は「30万人殺害」を出張し、日本側は「30万人もの殺害はあり得ないが、殺害はあった」と結論をまとめた。日本側の結論は、死者の数は別問題として、基本的に殺害を認めた形であった。

 

河村市長がさらに踏み込んで、殺害すらもなかったと、再度、議論と検証に持ち込むのは結構であるが、そのためには相当の準備と体制作りをしなければならない。少なくとも、彼がこれまで、それだけの準備をしてきた様子は窺えない。思いつきの言いっ放しでは、墓穴を掘るだけである。

 

いろいろと思い切った発言を行い、市民からの支持も得られているようでえあるが、戦略を持った発言なのか、少々、心許ない。政治家の放言は珍しくもないが、その影響を考えた上で、次の手がなければ、単なる失言に終わってしまう。

 

 

 

 

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