栄枯盛衰(2009.4.4

 

米国政府は、330日、GMとクライスラーに対する暫定支援策について発表を行った。その内容は非常に厳しく、両社の再建計画は実現不可能であり、GMのワゴナー会長の更迭、選択肢として破産法の適用を示唆する、というものであった。クライスラーについては、内容はもっと厳しく、単独での生き残りは困難と結論づけ、現在進んでいるフィアットとの資本・業務提携に望みを託すことになった。

 

まさに自動車業界の栄枯盛衰を示す出来事である。

 

今やトヨタは世界の頂点に立つ自動車会社となったが、今からわずか50年前は、彼らにとっての米国ビッグ3とは、技術力、資金力の全てについて、遙か彼方にある先進巨大企業であった。トヨタが初めて米国に輸出しようとした当時のクラウンは、羨望の眼差しで眺めるしかないキャデラックのテールフィンを一寸だけ真似たデザインであった。しかもそのクラウンは、初めてのフリーウェーで高速走行した途端、エンジンが焼き付いてしまい、彼我の技術力の違いをまざまざと見せつけられた。

 

一方、英国の技術でオースチンをノックダウン生産していた日産は、その卒業作品となったブルーバードを世に出した。その後の日産は、ダットサンを米国市場で成功させ、他方、かつての先生であったオースチンは消えてしまった。もっとも、その日産も今からわずか10年ほど前には左前となった時期があり、世界の大手自動車メーカーに救済を求めた。裏話では、当時は良好な業績にあったGMやフォードにも救済を求めたようであるが、色よい返事は貰えなかったという。結局日産は、技術的には自分の方が上であると自負していたものの、資金難からルノーと合併することになった。ところが、この合弁が大成功した。カルロス・ゴーンという見事な経営者によって、日産はV字回復を実現した。

 

自動車の歴史はわずか100年そこそこであるが、その間の自動車産業の栄枯盛衰は激しい。自動車は規格大量生産品の頂点にあり、一面で規模の経済が徹底的に効く世界であり、商品はコモディティー化する要素が大きい。半面、消費者の嗜好が強く働く。車という商品を販売で成功させることはそれほど簡単ではない。「技術の日産」であったはずの日産が左前になった原因は、モデルチェンジに失敗し続け、商品としての魅力を失ったからに他ならない。

 

冒頭の話に戻ろう。ビッグ3が窮地に陥った理由は明らかである。彼らはずっと技術開発を疎かにしてきたし、品質向上にも力を入れなかった。1980年代を思い起こせば、当時のアメ車はモデルチェンジを頻繁にするが、そこに搭載するエンジンは60年代の鋳鉄製のOHVエンジンをそのまま使い続けていたと記憶する。90年代に入り、日本車を追いかけるために、コンパクトカーも結構作っていたが、品質はひどかった。

 

90年代の初めであったと思う、クライスラーは鳴り物入りで小型車ネオンを華々しく市場に出した。日本車キラーという触れ込みであった。私は、ちょうど米国で生活しており、ネオンに乗る機会があり、ハンドルを握ってみたが、性能は酷かった。競合するはずのカローラより大きなエンジンを搭載していながら、エンジンの回転は重く、吹き上がらない。今思えば、要するに値段だけで勝負する車であった。

 

同じく90年代に、フォードがミスティークという車を出した。外観は当時のトヨタ・マークIIくらいであったが、室内はカローラより狭く、特に後部座席の居住性はひどかった。後ろに乗せていた当時小学生であった息子がぶうぶう文句を言っていた。GMもルミナという車を出したが、これもインテリアの設計がひどかった。インテリアといっても、見てくれの話ではない。運転席のダッシュボードの位置と寸法の設計が悪く、膝小僧をしょっちゅうぶつけた。当時の日本車がミリ単位で設計の最適化を図っていたのと比べれば、その出来映えは雲泥の差であった。

 

トヨタがハイブリッドカーとなる初代プリウスを出したときのGMの反応も冷ややかであった。「あんなものは遷移的な技術であり、先進的でも、エコ(エコロジー)でもない。売れば売るほど赤字が出る車を、トヨタはよく作るな。我々(GM)は究極のエコカーの開発に資金を投入する。それは燃料電池車である」と、こんな内容であったと思う。

 

しかし、その後彼らが目指したのは、利幅の大きい大型車に力を入れることであり、次世代の自動車がどうあるべきかという経営判断は、少なくとも外部からは見えなかった。結局、2005年頃から石油価格の上昇の兆しが見えていたにも拘わらず、低燃費、環境に対応した商品を出すことができないまま、この不況に突入した。その結果は悲惨である。先月のGM車の売り上げは40%減になったと報道されている。

 

私は、別に日本の自動車会社を褒めているわけではない。ものを作ると言うことは、未来を見越して技術を開発し続けなければならない、ということである。今、市場で独壇場にあると思っていても、いつの間にか後発企業が追いつき、抜き去ってしまう。もの作りは地味であり、常に技を磨いていかなければ、今の地位を守ることはできない。

 

ここでは、たまたまニュースとなった自動車の話を取り上げたてみたが、日本が経済的な反映を維持するには技術力で勝負するしかない。これからは、日本が国際的に量とコストで勝負することは難しい。単に安くものを作るだけならば、もはや中国にかなう筈はない。先進的、高付加価値な技術を開発し続けなければ、今度は日本が「枯」と「衰」の悲哀を味わうことになる。

 

SY01265_古い出来事」目次に戻る。

 

door「ホームページ」に戻る。