ダイバー (2006/6/23

 

日本ペンクラブ環境委員会6月研究会のゲストは、ダイバーの須賀次郎さんでした。

 

私は「潜り」をやった経験がないので、須賀さんのお名前を伺うのは今回が初めてでしたが、レジャーであれ、仕事であれ、スキューバダイビングの経験のある人ならば、彼の名を知らないはずはないという、この道の草分け的存在の方です(知らない人は「もぐり」だそうです)。お生まれは1935年ですから、今年で71才となるのでしょうが、とてもそんな歳には見えません。今でも現役のダイバーとして活躍中であり、明日も千葉の館山で「潜る」そうです。

 

彼は高度経済成長期から現在まで東京湾で潜り続けており、その汚染状況について、半世紀にわたる経験を語って頂きました。東京湾の汚染は、戦後復興から経済成長に入り始めた1950年代に急速に進み、その後のいわゆる公害の時代を経て、現在に至っているとのことです。ちなみに、汚染の状況は1970年代以降ほぼ横ばいで推移しているといいます。

 

ただし、昔との大きな違いは、汚染の原因がかつては産業に起因していたものが、今では生活排水によるものに変わったことです。このため、東京湾の大腸菌の数は基準値をかなり超えています。しかし、彼の言葉を借りれば、今までその大腸菌の中で泳いできたけれど、特に体を壊したことはないので、大腸菌が即危険な汚染状況を意味するものではないとのことです。もっとも、彼は1950年代から東京湾で潜っているので耐久力がついているのかもしれない。そこで、海上保安庁のダイバー、映画で有名になったあの「海猿」を潜らせてみたけれど、やはり何ともなかったとのことでした。

 

といっても、もちろん東京湾の環境が決して良い状況にあるわけではありません。夏の東京湾は無酸素状態となり、死の海に変わります。しかし、自然は強いものです。無酸素状態になった海底にいた生物は一度死に絶えますが、夏が終わり新たにそこに生まれた生物は、天敵がいないので急速に繁殖するという現象が見られるのだそうです。このため、東京湾の生物は豊富ですが、その生態系が過去とは違うものになってきています。端的な例が、お台場付近では、外来種が非常に繁殖しており、昔は日本にはいなかったムラサキガイ(地中海にいるムール貝)、ミドリガイ、ビノスガイなどが繁殖していると、須賀さんは語ってくれました。

 

このように様々な変化は見られるが、東京湾の魚介類は豊富であり、日本全国で比べても、スズキは東京湾が最大の漁場ということを今回初めて知りました。

 

ここで一寸怖い話をすると、今日の勉強会に出席していた中村敦夫さん(古い方は、「木枯らし紋次郎」と言った方が分かり易いでしょう)は、日本の近海で取れた魚介類の汚染物質の蓄積量は、諸外国の数値の一桁上であるといいます(自然は強く、破壊された環境から再び回復する力はあるが、それだけで楽観的になってはいけないというメッセージです)。

 

最後に、勉強会の後は、いつものように飲み屋に出かけ、須賀さんを囲んでいろいろな話をしました(といっても、彼は酒を飲まないのでウーロン茶をジョッキでチビチビ)。彼の話の中で、私にとって面白い言葉が二つありました。一つは、「60才から65才までは、まだまだ(気力、体力が)伸び続けた」、もう一つは「人生は、自分の思ったことをやることが一番」でした。

 

 

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