コミュニケーション能力 2010/8/8

 

 読売新聞のウェッブ版に、「発言小町」という欄がある。これは、万相談事をE メールで投稿し、それを読んだ読者がこれまたE メールで意見を述べるというものである。いわば、読者同士で作る身の上相談のコーナーである。

 

 投稿されたテーマによっては、「これ本当かいな?」と思われるものも混じっており、どこまでが真実なのか、疑えば、ウェッブで論争を引き起こしてやろうと、作り話を投稿したのではないかと思われるものもある。が、半分まじめに捉え、半分読み流すくらいにすれば、それなりに面白い企画ではある。

 

 その中に、妊婦からの投稿で、電車や地下鉄の優先席について、「なかなか座席を譲ってもらえない」という不満があった。記述が「しのごの言わず、譲って当然でしょう」という表現であったため、「俺だって疲れている。妊婦だからと、主張ばかりするな」といった反論も多くあった。その一方、「あなたの意見はわかるが、表現を考えないと反論を誘うだけ」というものもあった。

 

 この手の少々感情に走った論争は、この優先席のトピックスだけでなく、他のトピックスでもしばしば見られる。そもそも、この「発言小町」への投稿は、ほとんどが携帯メールで行われているようであり、最近は、文章を考えて書くという習慣が薄れ、このような感情丸出しの表現がそのまま文字に置き換わっているような気がする。携帯メールは確かに文章の形を取っているが、多くは話し言葉を文字に置き換えて羅列したにすぎず、いわゆる文章としての推敲がない。

 

 その結果、内容の起承転結がデタラメだったり、思いついた事柄をだらだらと羅列するだけだったりで、何が言いたいのか第三者にはさっぱり理解できない相当ひどい文章が結構ある。携帯メールのもう一つの弊害は、面と向かって相手と話し合うという意識がない点であろう。その結果、相手の意見をくみ取りながら言葉を選ぶという配慮がなくなる。下手をすると、頭から喧嘩腰の議論で始まる。携帯メールは便利な道具ではあるが、人と人の会話を退化させてしまった嫌いがある。

 

 携帯メールの議論とは別に、先ほどの「優先席」のトピックスに戻ると、意見の中に、欧米に比べて、日本人は日常生活の行動の中で弱者をいたわる習慣が希薄という意見があった。これには、私も賛成する。必ずしも日本人が弱者に対する思いやりに欠けているとは思わないが、その思いやりをスマートに行動に移すことがあまり得意ではない。少なくとも、米、英、仏、独あたりの国を歩いていれば、電車やバスで、老人や妊婦に対して、誰かが席を譲るという行為が普通に見られることに気づく。

 

 この「優先席」の問題では、とりわけ東京圏での一極集中の弊害が出ているとも思う。経済効率が最優先され、そこで働く人たちのストレスがあまりにも高くなっている。仕事でクタクタになり、長い時間電車に揺られるとなれば、他人への気遣いより、まずは我が身が大事となる。果たして、生活にゆとりのある地方では、事情はいかがであろうか?

 

 

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