米沢にて (2022/8/15

 

 

米沢はかつて上杉氏(米沢藩)の城下町であった。

 

実は、私、越後上杉と米沢上杉の関係を理解していなかった。米沢の上杉氏はかの有名な長尾景虎、すなわち越後上杉謙信の流れである。謙信の養子となり、謙信の跡継ぎとなった長尾顕景は名を上杉景勝と改めた。秀吉に仕えた景勝は会津120万石を領し、豊臣家五大老の一人となった。

 

しかし、関ヶ原の合戦で西軍が破れたことで、徳川家康の命により上杉家は米沢に移封され、石高も30万石に減封となった。その後江戸時代前期、世嗣問題が起きたことでさらに15万石へと減封された。

 

つまり、かつて戦国大名であった上杉家は、江戸の世となったことで外様の悲哀を味わい、大きく石高を失った。

 

しかし外様でありながら、米沢上杉家は戊辰戦争で幕府に味方し、新政府軍と対峙した。同じ外様の薩長が倒幕を目指したのとは対照的に、米沢藩は徳川に忠節を誓った。西国の薩長が揺れ動く幕末の時代をしたたかに生きた一方、米沢が忠義を重んじたのは東北という地域的特性だったのだろうか。

 

頭に浮かぶのは、米沢藩の破綻した財政の立て直しに尽力した上杉鷹山が、借金返還のための大倹約、地場産業の開発、上下を問わない有能な人材の登用、人材育成と学問の重視といった非常に倫理観の強い政治を行ったことである。私の思い込みに過ぎないのかも知れないが、忠義心、生真面目さ、そして我慢強さは寒い地域に暮らす人々が持つ特徴のようにも見えてくる。

 

 

 

 

上杉謙信を祀る上杉神社

 

 

 

 

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