港横浜探訪(2007/07/15

 

横浜に住んですでに20年を越えるが、これまで横浜の町並みをじっくりと見て回ったことがない。確かに、子供が小さかった頃、家族揃って山下公園や異人館あたりを歩いた記憶はあるが、港横浜の歴史という目で散策したのは今回が初めてであった。

 

昨年、サラリーマンを辞めて独立したことから、もはや通勤に時間を使う必要がなくなったことに加え、子供達が家を離れ、かみさんと二人だけの生活になったという環境変化があり、仕事ばかりの人生ではなく、生活を楽しむことにも時間を使うという余裕が出てきた。年の半分以上は仕事で日本を離れるので、せめて日本にいるときぐらいは、生活に潤いが欲しくなる。

 

休日のオフィス街は人通りも少なく、ぶらぶら歩くだけで、結構楽しめる。横浜の場合、横浜駅近辺が商業の中心地であるが、私はオフィス街ならば県庁近辺の方が似つかわしいと思っている。今でも、その昔の「何とか商会」といった風情のビルが残っている。

 

江戸の末期、幕府が横浜を開港したことで、山下公園沿いから中華街、港の見える公園辺りにかけて外国人居留地が出来た。県庁の前の日本大通りが日本人の住む地域と外国人の居住地の境界となり、今のシルクセンターから東にかけてアメリカ、イギリス、フランスなどの諸外国の商館が立ち並んでいた。それらの西洋人に伴われてやってきた中国人は、居留地の一角、当時横浜新田と呼ばれていた場所に中華街を形作っていった。

 

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·           東京と違い、ビルもそれほど高くなく、古い建物も大切に残されている。

·           向こうに見えるのは、今から90年ほど前に立てられた横浜開港記念会館。

·           時計塔は「ジャックの塔」と呼ばれ、県庁の「キング」、横浜税関の「クイーン」とともに横浜三塔を成す。

·           大桟橋から見た赤レンガ倉庫の眺望。

·           背景の高層ビル群はMM21のオフィス街。

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·           現在の山下公園通りの南側には英国の商館が並んでいた。

·           現在のシルクセンターのある場所から東に向かって、一番館、二番館と順番に建物が連なっていたという。

·           ちなみに、当時は現在の山下公園はなく、そこは海岸であった。山下公園は関東大震災によって倒壊した建物の瓦礫を埋め立てて作られたそうである。公園の歴史は意外と新しいのである。

·           中華街の東門。

·           ほぼ10年ぶりで中華街に来てちょっと驚いた。やたらと新しいビルが出来て、通りもやけに近代化されてしまった。

·           確かにきれいになったが、何か昔の情緒が無くなったと感じるのは、私だけだろうか。

 

歴史は一気に飛ぶが、日本が太平洋戦争に負けて、連合軍総司令官のマッカーサーが厚木に到着し、最初に居室を置いたのが山下公園の前に建つニューグランドホテルであった。今は高層の新館が出来ているが、当時の旧館(本館と呼ぶらしい)もそのまま残っている。私は未だ覗いたことはないが、マッカーサー使っていた部屋もそのまま残されている。ちなみにホテルのウェッブを調べてみると、マッカーサーの部屋に宿泊することは出来るが、一泊13万円を越えるお代がかかる。

 

 

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