『山本五十六』 半藤一利著 200711月 平凡社

 

 

山本五十六。いわゆるビジネス誌で「リーダーのあるべき姿」と言ったテーマで、必ずといってよいほど取り上げられる。また、同名の著作が阿川弘之によっても出されている。

 

著者の半藤さんが繰り返し述べているように、山本五十六が個人としても非常に魅力のある人であったことは言うまでもないが、必ずしも彼を賛美することだけが本書の目的ではない。当時の軍部がいかに官僚的な派閥の力関係で動いていたか、あるいは国際政治からかけ離れた特殊な組織の利害でしか物事を判断できなかったかを見事な筆致でえがいている。

 

太平洋戦争は陸軍が戦争に向かって突っ走り、海軍がそれに引きずられたとよく言われる。しかし、それは正しくない。海軍の中にも艦隊派と呼ばれる軍備拡張を主張する者(強硬派)と、条約派と呼ばれる良識を持った者(対英米協調派)がいた。山本はその後者であった。

 

日本と米国の国力を比べれば、彼我の差は明らかである。しかし、世相は偏狭な国粋主義がますます力を強めていくという情勢下にあり、海軍内部でも二派の抗争により、海軍そのものが組織として収拾が取れない状況にあった。さらに軍を巡る統帥権問題、国内政治の混乱から、抜き差しならなくなってきた英米との間の外国問題を軍事力でけりを付けようという、ただ勇ましいだけの声が大勢を占めるようになっていった。

 

三国同盟に反対し、対米戦の回避を最後まで強く主張し続けた山本が連合艦隊司令長官として不本意な戦いを指揮しなければならないことは大きな悲劇であった。いや、彼は愚直な軍人として、英米との戦争を回避できなかった自らの責任を取ろうとしたのかもしれない。

 

よく言われるように、山本は海軍が米国を相手に戦い続けられるのはせいぜい一年であることを十分承知していた。それゆえに、真珠湾攻撃という奇策を使い、短期間に戦況で優位に立ち、米国との停戦調停に持ち込もうとした。しかし結果は、真珠湾攻撃を除けば、ミッドウェイ、ガダルカナルと、その後の戦は全て負け戦となった。開戦から一年で、太平洋戦争の流れには完全に決まったのである。

 

もはや日本に勝ち目のないことが明確となった後も、山本は自ら前線に赴き、先頭に立って連合艦隊を指揮した。彼には、部下に苦しい戦いを強いる者が、後方に下がって保身に走ることは耐えられなかったのだろう。しかし、彼特有の美意識がさらなる悲劇に繋がる。山本の前線での行動は日本軍の暗号を解読していた米軍に補足され、前線視察に飛んだ山本の機はブーゲンビル上空で待ち伏せしていた米軍機に落とされた。彼の危険な行動は、軍という組織の長としてはやってはならないものであった。しかし、部下を思い、率先して戦いの場に臨んだ彼の人柄は、やはり人の心を打つ。

 

責任を放棄することを汚名と心に決め、卑怯未練がましいことを許さない武人としての生き方に共感する人は多い。単に昭和史を知る、あるいは山本五十六の人となりを知るだけでなく、組織の上に立つ者がどうあるべきかを考える上で、この本を読むことをお勧めする。

 

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の2008512日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

 

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