『京大的アホがなぜ必要か—カオスな世界の生存戦略』 酒井敏 20193月 集英社新書

 

 

この本から外れるが、201956日付けの朝日新聞で、「日本の科学力低下…問題は?処方箋は? 識者に聞いた」という記事があった。

 

そこでは、国立大学に対する運営費交付金の削減や、研究予算の「選択と集中」による過度の競争環境が、日本の研究力低下につながっているという指摘が取り上げられている。

 

「選択と集中」とは、研究成果を投入したカネで割り戻して評価し、大学の研究を効率化しようという思想である。大学といえども、研究のためのカネがなければ身動きできない。選択と集中の結果、成果と社会への貢献が曖昧な研究、あるいは先の見えない研究はどんどん切り捨てられていった。

 

著者の酒井氏はもともと教養部出身の教授である。1990年代に起きた教養部の見直しや廃止によって、その存在は大学の中でも隅っこに追い込まれた。教養部の廃止の裏にあったのは、大学は専門性を追求する場であり、一般教養など、選択と集中の観点からすれば殆どムダという考え方であった。

 

酒井氏が使う「アホが必要」という言葉は、まさに国が大学に強く求めてきた「選択と集中」に対するアンチテーゼである。

 

選択と集中により研究分野を絞り込んでしまえば、予測できない変化が起きた時の選択肢が排除されてしまう。世の中とは、予測不可能なカオスである。幾ら緻密に将来を予測したところで、正確に将来を見通すことなど出来るはずはない。その集中と選択が外れれば、「ハイそれまでよ」である。

 

一見アホと思われる研究は、予測不可能なカオスの中で生き延びる知恵である。一見無駄と見えようが、大学にはアホな研究が絶対に必要である。そんな主張を複雑系やスケールフリーネットワークといった新しい論理を使って説明してくれる。

 

 

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