ポートモレスビー豪軍戦没者墓地 (2022/5/29)

 

 

パプアニューギニアは旧日本軍と連合軍との間で交わされた激戦の地である。当時、ニューギニア*/に上陸した日本軍20万人のうち、生還できたものは僅か2万人に過ぎなかったという。制空権を抑えるだけの航空機は無く、機械化された兵力も無い。小銃を抱えた歩兵は、事前の調査もなく、補給と兵站の見通しもない中、山岳地帯を突き進んだものの、連合軍の反撃に加え、飢えや病気で兵力を失って行った。

 

日本軍の戦略・戦術は日露戦争から進歩しておらず、連合軍が展開する近代戦に対抗する術はなかった。

 

ポートモレスビーを守る豪州軍は攻め込んでくる日本軍と戦い、戦死者を出した。その戦死者の墓は今でも戦没者墓地として、立派に維持されている。これを見ると、旧日本軍の余りにも馬鹿げた兵の運用以上に、その後の戦死者の扱いを見るにつけ、彼我の差をヒシヒシと感じさせられる。十数万人に上る日本軍の戦死者の多くは骸となったまま土に埋もれ、満足な墓すら作られていない。

 

 

英国連邦政府に代わり戦没者墓地委員会が維持管理を行っている。

芝は綺麗に刈り込まれ、それぞれの墓には花が手向けられている。

 

 

統一の取れた墓が整然と並ぶ。墓碑を読むと、20歳代前半でなくなった方が多い。

 

 

*/         南東部パプアと北東部ニューギニアが統合され、パプアニューギニアになったのは戦後である。

 

 

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