「わきまえる」を考える (2021/3/6)
今朝の朝日新聞のオピニオン欄である。女性蔑視発言で話題となった森元首相の言葉にある「わきまえる」をテーマにお三方の意見が掲載されている。
その中の一人、ソフト会社を創業された宋文洲さんの話がなかなか面白かった。
彼には日本という狭い村社会ではなく中国で育ったという背景があり、なかなか鋭い洞察力がある。「わきまえる」という言葉を外国人に説明することが難しい。「お前の階級に合わせてものを言え」 がその本質であろうと言う。この翻訳、まさに正鵠を射たものだろう。
秩序や階級はいまだに日本社会に深く染みこんでいる。彼は、それは日本が革命を経験したことがないからだと言う。確かに、明治維新はあったし、太平洋戦争に負けて民主主義が根付いたが、いずれも市民が自らの力で勝ち取った革命ではなかった。一方、中国では100年ごとに革命が起きた。だから、中国には「わきまえる」などいう発想はないと言う。
戦後の混乱期に、ソニーの盛田昭夫やパナソニックの松下幸之助のような創造的な人物が出たのは、旧来の秩序がひっくり返ったからであった。しかし、根っ子からその秩序を断ち切らなかったことで、新たな秩序が出来上がってしまった。それが今の日本の経済低成長に繋がったと、宋さんは分析する。
私も同感である。最後に彼は、「今こそ暗黙の秩序を壊す志の高い人が求められている」と言う。これは若い人達にしかできないことだろう。
つくづく思う。80才を越えた爺様がマイクを握ったまま、公の場で自分の思い出話を延々と語るような社会に未来はない。