『結婚不要社会』 山田昌弘 20195月 朝日新聞出版

 

 

日本の将来を語るとき、枕詞のように出て来る言葉が少子高齢化である。その裏には若者の未婚化という現象がある。結婚の先延ばしする晩婚化ではなく、結婚しない未婚化である。

 

このような傾向は日本だけでなく、欧米でも進んでいる。ただし、欧米と日本の違いは、欧米の若者の場合は、結婚はしないがパートナーと一緒に生活をする、つまり結婚という形態を踏まず、同棲生活を志向するということである。

 

ところが、日本の場合には、結婚が出来ない、結婚が困難になってきた。欧米は「結婚不要化」が進むが、日本は「結婚困難化」が進んでいるというのが結論である。

 

良くも悪くも日本社会では、結婚に際して両性の親密性と経済的な裏付けの二つが大きな要因となる。加えて世間の目という更なる日本的要素が加わる。

 

一方、欧米では親密性(愛情)が主であり、経済性はそれほど重視されない。世間の目を気にするという束縛はさらさらない。

 

経済的な裏付けという点で、今の若者は厳しい状況にあるというのは私も感じることである。

 

かつては、大方の人は会社勤めすればそれなりの給与が貰え、年功序列という仕組みを通して収入も増えて行った。しかし、そんな時代は既に過去のものとなった。

 

経済がグローバル化、ソフト化する中で、貰える給与は能力によって大きく差が出る。同じ若者であっても能力の有無で、稼ぎに大きな差が出る。非正規雇用者の増大もそのような社会的、経済的な背景に起因する。特段の能力が要求されない仕事の付加価値は低く、給与も低く抑えられる。

 

欧米と日本の若者の間にある意識の上での大きな違いは、未だに日本の若者が伝統的な結婚の価値観から抜け出していないことにあると、著者は言う。

 

伝統的な結婚の価値観とは、男は結婚した以上それなりの経済的な安定を相手に提供する、女はそれを相手に期待するという構造である。

 

多くの若者は、未だに従来型の結婚、夫が仕事で稼ぎ、妻は家事をすることで、豊かな生活を築くというパラダイムから抜け出せないでいる。この従来的な価値観に拘ることで、結婚できない人が増加していった。

 

若者の意識も保守的であるが、政治はこの概念からさらに抜け出せていない。国は少子化傾向を止めるための様々な施策を打ち出しているが、こと結婚という社会的な取り決めとなると考え方が極めて保守的である。

 

嫡子と非嫡子との間の差別を解消するための民法改正や、結婚による姓の選択統一の議論で真っ先に出てきた言葉が「伝統的な婚姻制度という日本の美徳の崩壊」であった。

 

とりわけ年寄り政治家には、伝統的な婚姻制度が既に崩壊しつつあることが理解できていない。日本の離婚率が三分の一に達していることがそれを裏付ける。

 

そもそも伝統的は婚姻制度が日本の美徳であるという考えが実態を捉えていない。

 

戦前には被嫡子が占める比率が一割にも及んでいた。世間は、金持ちや社会的地位のある男が妾を持つことがあたかも男の甲斐性のように受け入れていた。妻はといえば経済的な理由、あるいは家の縛りや世間体で離婚できなかっただけである。

 

さて、話を冒頭に戻せば、国が少子化による国政の衰えを憂うのは当然である。そうであるならば、結婚しないで子供生んでも安心して育てられる社会制度を構築することの方が先である。

 

現状で離婚したシングルマザーの多くが貧困状況に置かれ、それが貧困の連鎖になりつつあるという現実は深刻である。このままで行くと、若者が結婚しないまま国が老いて衰退していくというのは、現実味を帯びた話になる。

 

 

 

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