海外の目から見た福田次官の言動 (2018/4/22)

 

 

このところずっとマスコミを賑わせてくれたのが財務省福田次官のセクハラ騒動である。ご当人は、未だ頑なにセクハラはなかったと言い続けているが、もう勝負はついている。この手の話は、誤魔化せば誤魔化すだけ状況は悪化する。それを恥の上塗りと呼ぶ。そして、ますます泥沼にはまり込んでいく。

 

今朝の朝日新聞に米国国務省が2017年の人権報告書を公表したという記事が出ている。そのなかで、日本について職場でセクハラが依然として横行していると指摘されたとある。さらに、政府の汚職や透明性の項目で、安倍政権の森友学園や加計学園を巡る問題にも言及したという。米国政府が発表する公式報告書の中で日本の文化的な後進性が指摘されたわけである。

 

今回の福田次官の問題はこの人権報告書の中で直接採り上げられた訳ではない。しかし、日本政府の中で、しかもそのトップにある財務省の、これまた事務方トップの次官がこの体たらくである。日本政府は今回のスキャンダルを福田次官個人の問題に留めたいのだろうが、世界はそれを日本の文化的背景と捉える。

 

そうそう、20年以上も前の話だろうか。当時の大蔵省が金融機関から接待を受けていた問題が明るみに出た。いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」である。当時、私は米国企業と仕事をしていたが、何かの切っ掛けで官庁と企業の癒着問題が話題に上った。その時、米国のクライアントが「no-pan something something」という言葉を使った時、私は非常にばつの悪い思いをしたことを今でも覚えている。

 

 

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