築地から豊洲への市場の移転 (2018/10/13)
築地から豊洲へ市場の移転が完了し、取引が始まったが、当初から予想されていたこと、あるいは動き出してみて起きた思わぬトラブルを含め、やはり問題が出ているようである。
土壌汚染物質問題で移転が遅れ、当初、移転の可否を棚上げにしていた小池都知事も結局豊洲移転にゴーサインを出した。それを決定した一番の理由は2020年のオリンピック開催である。築地跡地はオリンピック開催時の駐車場に使うことを予定しており、豊洲への移転問題を解決しないとオリンピックの開催に差し障る。結局、オリンピックを優先させ、その他の問題には目を瞑るという判断であった。事実、オリンピックが終わった後、駐車場として使った跡地をどう使うかという計画は全くの白紙で、問題を先送りにした。
豊洲市場が築地市場と同様なブランドの地位を獲得できるかどうか、私にはわからない。少なくとも、築地は江戸に遡る下町であったという長い歴史があるが、一方、豊洲は埋め立て地、しかも都市ガスを製造するための石炭乾留工場があった跡地(土壌汚染地区)にすぎないことを考えれば、何となく悲観的になる。おまけに、魚の仲買という流通形態は年々縮小の一途にある。東京都は移転に際して、豊洲が完成すれば流通量がV字回復するという推計を出しているが、そんな話を真に受ける者はまずいない。
そもそも今の日本で、オリンピック開催がすべてに優先するという発想自体、時代からずれている。前回1964年の東京オリンピックは戦後20年が経った日本の経済発展にさらに弾みを付けるという意味で、成功裏に開催することがすべてに優先した。その裏で、江戸情緒のあった運河の上ににわか仕立ての首都高を建設したが、今になれば日本橋の上を塞ぐだけの醜い構造物でしかかない(そして今や、多額の資金を投入してでも、この首都高を地下化しようという話が持ち上がっている)。
オリンピックという宴の後に打ち捨てられた残骸は各国に残っている。リオデジャネイロ、北京、アテネ、バルセロナと、開催後の施設の廃墟はちょっとウェブを探せばいくらでも出て来る。
豊洲が廃墟になるとは言わないが、日本橋の頭上に掛けた首都高の教訓ぐらいは記憶しておいた方が良かろう。