『「東京裁判」を読む』 半藤一利著 日本経済新聞出版社20098

 

 

太平洋戦争が終わって既に60年が経つというのに、依然として中学、高校の歴史では昭和史を避けて通っているのが現状である。残念ながら、日本ではまだ太平洋戦争の総括が出来ていないばかりか、表面的な歴史観だけが先走っている。

 

東京裁判は明らかに、勝者が敗者を裁いたものである。しかし、日本が日中戦争から太平洋戦争へ突入し敗戦に至るまでの昭和史の中で、一体何が事実として起きたのか、そのときの国のリーダーはどのような行動と責任の取り方をしたか、これらの問題をいつまでも歴史の中で曖昧にしておくことは許されない。

 

向こう10年を見渡せば、日本に代わって中国や他のアジア諸国がますます国際的な地位を高め、政治と経済の主導権を取っていくことは明らかである。日本が昭和という時代を総括しないまま過去を歴史の中に埋もれさせようというのであれば、彼らは所詮日本とは歴史に対してその程度の倫理観しか持ち合わせていない国としか見ないであろう。

 

東京裁判で取り扱われた膨大な資料はこの歴史の真実を知る上での宝庫である。東京裁判を受け入れることが「自虐史観」という人々は結構いる。しかし、戦後60年経った今我々がなすべきは、そのような政治的な解釈から歴史としての解釈に移行することである。あくまでも、東京裁判の資料を読み解き、何が起きたのか、そのとき日本人は何をしたのかを客観的に知ることである。

 

著者があとがきで述べているように、東京裁判は勝者による歴史のトリックかも知れないが、「勝者の裁き」を言い立てることで、不都合な歴史を葬り去ろうというのは敗者のトリックでしかない。

 

少なくとも、裁判における検察側と弁護側双方の陳述を見て分かることは、当時の日本を引っ張っていったリーダーたちが、如何に世界情勢に無知であったか、そして自らの置かれた状況を客観的に判断する力を持ち合わせなかったかである。軍という組織を背景とした官僚たちは、自らに都合の良い「超」が付くほどの楽観的なシナリオを描き、軍事的な失敗を繰り返すことで、国を滅ぼしていった。しかも、戦争を指導した当事者は、最後まで本質的な責任を回避した。東条英機の「国民の無気魂故に戦争に負けた」という言葉がそれを如実に表している。

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の20091228日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

 

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