2016年オリンピック誘致敗退の教訓(2009.10.5)
先週末の10月3日(土)にコペンハーゲンで開かれた2016年夏期オリンピック開催地の決定で、東京は2回目の投票で脱落した。石原知事は、かなり落胆したようであるが、リオデジャネイロに決まるまでの投票の流れを見ていると、むべなるかなという気がする。
新聞記事にも書かれているように、なぜ2回目の東京オリンピックであるのかという点で、あまり説得力がなかった。これは、海外に対してばかりでなく、日本国内に対しても同じような状況にあったと思う。表向きは、オリンピックは平和の祭典といった言葉が使われるが、誘致する各国の狙いは、依然として国威高揚と、自国経済の刺激、つまりGDPの底上げにある。北京オリンピックの開催の経緯と、開催式で見せたこれでもかというプレゼンテーションを見れば、まさにそれがわかる。
1964年の東京オリンピック当時は、戦後20年を経て、日本が経済的に一等国になったという状況下にあり、まさにすべての国民の賛同を得ることができた。しかし、今の日本にとって、オリンピックによる国威高揚や経済波及効果が果たしてどれだけ意味があるものなのだろうか。
石原都知事は、誘致を機会に東京のインフラ整備も進めたかったようであるが、都市インフラという点であれば、東京一極集中の流れを変えた方がよい。確かに、イギリスはロンドン、フランスはパリに政治も経済も集中しているが、ロンドン圏の人口は1300万人、パリ圏の人口は1100万人である。これに対して、東京圏は実に3500万人である。この姿は異常と言ってよい。東京の一極集中の姿は、いわゆる途上国型であり、メキシコシティー、ジャカルタ、ムンバイによく似ている。東京でなければ仕事がない、東京に出れば何とかなるという形で、一極集中が進んできたし、まだそれが続いている。もし、オリンピックの誘致を都市インフラの整備の起爆剤としたかったのならば、私は、日本は東京を推すのでなく、福岡にすべきだったと思っている。
再び日本がオリンピックの誘致を進めるならば、発想をガラッと変えない限り、日本に持ってくることは難しいだろう。誘致のために巨額の費用を投じ、世界の誇る大都市東京であると叫んだところで、他の国々から見ればさほど説得力はない。これは、今回のIOC総会の投票結果からも明らかである。一方、途上国は経済的にも力をつけており、今後ますます誘致を目指す新興国が出てくることは間違いない。IOCの委員の多くが、それならば、そのような新興国に是非ともやってもらおうと思うのは、至極当然な流れである。