あれから1年。東電の経営に対する批判 (2012/3/14)
東日本大震災から1年が過ぎた。被災された方々のご苦労は、痛いほど伝わってくる。とりわけ、フクシマ原発事故により、故郷を追われ、避難生活を強いられた方々の悔しさ、憤りは、私ごときの想像を遙かに超える。
事故から1年が過ぎた去る3月11日には、東京電力の西沢俊夫社長が福島第1原発を訪問し、作業員約200人を前に、原発事故発生への謝罪を含めたメッセージを読み上げ、これは本店でも中継された、と新聞報道された。さらに、その報道では、本店での記者会見で、相沢副社長は「事故原因は想定外の津波」との従来見解を繰り返したとも伝えられ、東電は相も変わらず責任逃れに終始した。
東電のお役所体質は、未だに健在である。西沢社長は、福島を訪れているが、被災者に対する直接の謝罪はなかった。相沢副社長の口から、この1年間でもう聞き飽きた「想定外」という言葉は出ても、それを想定しなかった自らの過失には言及していない。「想定外」とは、役人が責任逃れによく使う言葉である。その心は、都合の悪いことは知らなかったこと、あるいは考えもしなかったことにしよう、という言い訳のための常套文句である。
こと「想定外の津波」に拘るのであれば、東電は事故から5ヶ月たった昨年8月24日、担当部局が、福島第1原発の5〜6号機にくる津波の高さが最大10.2メートル、防波堤南側からの遡上高が15.7メートルになるという試算を、2008年6月時点で原子力・立地本部の武藤栄副本部長(当時)に伝えていたと発表している。つまり、東電は事故の3年前に津波が想定され得ることを知っていた。まずい話なので、うやむやに葬り去っただけのことである。
つまり、津波への対策を怠っていたことは、全く東電の過失であり、想定外の一言で責任転嫁できるものではない。
東電の経営については、政治的にも等々な駆け引きに陥っている。政府による追加し出資で、政府の持ち株比率を過半、あるいは3分の2まで高め、国有化するかどうかである。当然、東電は経営権を国に牛耳られることを嫌い、最大限の抵抗をしている。そこにあるのは、「大きすぎて潰せないだろう」という奢りである。
この東電の姿勢について、経済界でも、それを擁護する意見、非難する意見、様々ある。
経団連の米倉弘昌会長は、今年2月13日の記者会見で「「国有化というのはとんでもない勘違いをしている」、「3分の1以下がいいのではないか」と、相変わらずの東電擁護の発言である。それならば結構。経団連として加盟各社に奉加帳を回して、東電の救済資金を集めたらよかろう。
一方、サントリーの佐治社長は、2月8日の決算発表の席上、「東電にも事情はあると思うが、あれだけの事故を起こして、当たり前の顔をして(電気料金を4月から平均17%)値上げしますというのは遺憾。自らのコスト削減努力など、説明責任が欠如している」と、なかなか気骨のある発言をしている。