『昭和史 戦後編-1945-1989』 半藤一利著 2006年4月
平凡社
昭和の歴史の語り部、半藤さんによる昭和史の集大成である。実は、2002年に「昭和史1926-1945」が出版されており、この本はその姉妹編にあたる。
1868年の明治政府の樹立から僅か40年で、東洋の遅れた島国であった日本が欧米と肩を並べる軍事大国となり、その後の40年をかけて破滅の道を突き進んだ。太平洋戦争の終結とともに、その軍事力は跡形もなく消えていった。日露戦争の頃までは外交や政治という点で国際的な立場で存在感を示すことができていた日本が一気に孤立の道を歩み、そして崩壊していったのが昭和であった。
敗戦となり、連合軍総司令部の下で日本の民主化と復興が始まり、マッカーサーは矢継ぎ早に改革を指示する。日本政府と司令部との間では様々な駆け引きが行われたものの、結局、日本は非軍事化、民主化の方針を受け入れ、国柄を大きく変えることになる。
1950年に勃発した朝鮮戦争により、米国の考え方は180度変わり、東西の冷戦構造の中で日本の再軍備を求めるようになる。
その後の歴代の首相も、軽武装・通商国家として繁栄すべきという信念を持つ吉田茂、憲法改正・再軍備を強く主張する岸信介、高度経済成長を最大の主眼とした池田勇人、再び外交を重視し沖縄返還を達成する佐藤栄作と代わっていくが、「非軍事国家という理想を貫くべきである」、「いやそうではない、軍事を整備した普通の国家に変わるべきである」、という二つ議論は常に錯綜していた。
戦後20年ほどで、日本は戦前の経済水準を回復し、ついには戦勝国の経済を追い越すという現在の地位にたどり着く。そこには、朝鮮戦争やベトナム戦争という特需景気、日米安全保障条約の下で軍事に多額の国費を割く必要もなく、経済成長に国の持てる力を投入できたという幸運があった。
近代の日本を振り返れば、明治には立憲君主制の下、富国強兵を国の基軸として国家を動かすというシステムがあり、これが成功した。しかし、昭和に入り、軍を中心とする官僚組織が立憲君主制を越える神格化した天皇制を仕立てることで、無謀な戦争に走り、国家を崩壊させた。これに対して、戦後の基軸は憲法に定めた平和主義であった。紆余曲折はあったが、軽武装、経済第一主義を国家の目標として、それを達成した。
1989年、昭和天皇の崩御により、戦後40年の経済復興と繁栄の道を歩んだ昭和の時代も終わる。平成へと元号が変わり、バブル経済の崩壊と建て直しという苦渋の時代に入る。15年を要して経済は回復したように見えるが、800兆円という財政赤字(借金)を考えれば、本質的な問題はまだ解決していない。
昭和の最後に起きた経済バブルとその後の崩壊で目にしたように、官僚主導に基づく政・官・民のなれ合いと無責任主義という点で、今日の状況は太平洋戦争に入ったときの状況と全く変わらない。そこにあったのは、官僚の根拠なき自己過信、驕慢なる無知、限りなき無責任、これに乗った金儲けしか関心のない民であった。
半藤さんが最後に締めくくっているように、今必要なことは国の基軸として何を置くかを考え直すことであろう。「日本人が皆私を捨てて、もう一度新しい国を作るための努力と知恵を絞ることができるか」、「自分達の組織を守るという偏狭な考えから脱却する勇気を持てるか」、「世界的、地球規模で大局的な展望能力を持つことができるか」、「他人に頼らない、世界に通用する知識と情報を持てるか」という彼の言葉は重い。
この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の2007年6月11日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>