『昭和・戦争・失敗の本質』 半藤一利著 20099月 新講社

 

 

少々古いが、防衛大学の教授等が執筆した「失敗の本質」という書がある。ノモンハン事件から太平洋戦争に及ぶ日本軍の作戦の失敗事例を取り上げて、戦略的思考能力を欠いた作戦指導者が独善的かつ杜撰な計画で戦いに臨んだ結果、いかに惨めな敗北に帰していったかを分析したものである。

 

半藤氏が書いたこの本も、満州事変から太平洋戦争への突入、そして終戦に至るまでの近代史を克明に分析している。満州事変、日華事変、そして太平洋戦争に至るまでの軍部の判断は、まさに杜撰かつ泥縄的計画に基づき、自らに都合の良いシナリオを描くことで、対米英戦争に国を引っ張って行くものであった。

 

このいい加減さは軍部だけのものではなく、政治の場においても同様であった。太平洋戦争突入を決めたとき、軍部は言うに及ばず政府もどのような形で戦争を終結させるか、ほとんど考えていなかった。要は、三国同盟を結んだナチス・ドイツがヨーロッパで勝利すれば、アメリカは孤立して戦意を失い、日本に有利な形で講和できるであろうという、これまた手前勝手な政策、というより願望しか持ち合わせていなかった。

 

戦時下の軍指導者の国際政治を見通す洞察力の欠如は、負け戦を繰り返す日本にさらに追い打ちをかけた。軍部は、まさか終戦直前になってソ連が参戦して来るとは夢にまで思っていなかった。ノモンハン事件で懲りた政府は、日ソ不可侵条約を結ぶことで、北方の憂いは全て消えたと信じ込んでいた。ソ連は明治以来の仮想敵国であったにも拘わらず、である。

 

一方、スターリンは日本が敗戦した際の分け前にどのようにして預かるかしか考えていなかった。昭和20年のヤルタ会談では、ドイツが降伏すれば(会談時ドイツの降伏は秒読み段階にあった)その3か月後には対日参戦することを米英中に約束した。それ故に、日本から領土をぶんどるために、日本の降伏直前に、しゃにむに満州、樺太、千島列島に進撃し続けた。

 

ソ連が北海道に上陸、そして領土を占領する前に日本が降伏したのは、まさに崖っぷち、ぎりぎりのところであった。終戦の決断があと一か月遅れていれば、日本は国家分裂の憂き目にあっていた。

 

半藤氏が言うように、太平洋戦争に至る昭和の前半の時代は、国論という得体の知れない群衆の意志が世の中を支配し、個人の理性を失わせることで国を滅ぼしていった。今の日本はそのような状況とは全く異なると言いたいところであるが、昭和の歴史に学ぶところは大きい。

 

再び半藤氏の言葉を借りれば、民族の精神の支柱となっていた理想が光を失うにつれて、活気づけられてきた政治的、社会的、文化的なあらゆる基盤が揺るぎ始める。政党政治の凋落が官僚制度の強化に繋がることは歴史の教訓である。これが政党内部の「革新」「改造」「刷新」を唱える勢力と巧妙に手をつなぐと何が起きるか、日本の近代史が生きた教訓を与えてくれる。

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の2010315日の書評として掲載したものです。http://www.creage.ne.jp/

 

 

 

説明: 説明: SY01265_「古い書評」目次に戻る。

 

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: door「ホームページ」に戻る。