14年ぶりのソウル (2010/05/04)
韓国はすぐお隣の国であるにもかかわらず、しばらく訪れる機会もなかった。前回、ソウルに行ったのは、アジア通貨危機が起きるちょっと前であった。
私が仕事で初めて海外に出かけたのも韓国であった。大学を出たばかりの、確か入社2年目くらいであっただろうか。1976年頃であったと記憶する。当時のソウルは、夜間には戒厳令が敷かれ、午後8時か9時頃には外出禁止となった。外国人に対してはそれほど厳しくはなかったが、その時間を過ぎると、現地の韓国人に対しては厳しい取り締まりが行われていた。街角の要所要所には兵隊が立ち、ここは準戦時体制の下にある国だと、身をもって感じた。
それから20年の間に韓国は急速な経済成長を遂げ、1990年代中頃には、ソウルの様子は、街中に溢れるハングル文字を除けば、日本の都市の印象と全く変わらなくなっていた。地下街に入った時の様子は、なにやら大阪の梅田の地下街を思い出すようであった。
そしてさらに14年ほどが過ぎ、今回たまたま仕事でソウルを訪れる機会を得た。街の印象は、14年前とそれほど変わらない。宿泊したホテルは、明洞に隣接する一番華やかなところにある。宿泊客の様子を見ると、ちょうど連休に入ったこともあり、日本人らしき人達が結構目立つ。そんななか、14年前を思い出して、日本人客の顔ぶれが大きく違ってきたことに気がついた。明らかに中年女性が目立つ。これも「韓流」ブームのせいであろうか。
今や韓国の生活水準は日本と同じと考えてよい。街中は清潔、かつ安全である。車の運転マナーも非常によくなった(1970年代は、車道を横断するには、かなりの勇気を必要とした)。
現地事務所の支店長の話では、いわゆるトップ企業の給与は日本より高いかもしれないという。加えて、日本以上に企業間格差が拡大し、いわゆる勝ち組と負け組が明確になってきているとのことである。それが学生の意識にも反映してきている。韓国は日本以上の学歴社会であり、頂点に立つソウル大学の学生は、現代、サムソン、LG、浦項製鉄といった超優良企業を目指す。就職できなかった場合には、留年あるいは留学することで時間稼ぎをする者が結構多く、これが隠れた失業者となっているという。この話、日本でも同じであり、人ごとではない。
ビジネスの進め方でいえば、韓国の優良企業は日本企業に比べて明らかに決断のスピードが速いという。これが、この10年に韓国企業がグローバル市場で成功してきた理由の一つとしてあげられる。1997年のアジア通貨危機で韓国経済は一度破綻の憂き目をみた。その時点で、彼らはもはや国内に籠もっているだけでは経営が立ちゆかないことを確信し、一気にグローバル化を進めた。
企業の決断の速さとして、彼の支店長が話してくれた例である。今回、韓国企業から仕事の話が合った際に、先方の担当者が放った言葉は、「あなたの会社に仕事を決めるので、今日中(つまり、午後5時まで)に返事が欲しい」とのことである。日本企業のスピードであれば、「返事をするのに1日欲しい。明日返事をする」といったものであろう。韓国企業(もちろん優良企業)の特徴は、各担当者が責任を持って素早い判断を下す点にあるという。この点は、明らかに日本企業の合議主義のスピードを上回っている。
今や、韓国企業から学ぶべき点は、結構多いと感じた次第である。