『政治と秋刀魚――日本と暮らして四五年』 ジェラルド・カーティス著 20084月 日経BP

 

 

この本を読むと、米国の日本研究がいかに懐の深いものであるのかを思い知らされる。

 

話は少々古くなるが、太平洋戦争中、米軍が戦略的な目的から日本語学校を設立し、そこを卒業した日本語専門家の中からドナルド・キーンやエドウィン・サイデンステッカーといった日本文学者が生まれた。

 

カーティスは彼らに続く第三世代の日本研究家である。日本語に興味を持ち、政府から国防教育法奨学金をもらい、本格的な日本語勉強を始めたという。政治にせよ、経済にせよ、国家や文明の間で起きる衝突を避けるためには、まずは相手の文化を知ることから始まる。地域研究に必要な語学教育はまさに国防であるという発想は、まさにアメリカならではのことである。

 

代議士の選挙運動をテーマに論文にまとめ、それで博士号を取るという彼の発想も、日本の学者ではまずあり得ない。そもそも選挙運動など、アカデミックなテーマと思わないのが日本の大学であろう。学問ではなく、せいぜいジャーナリズム、下手をすれば政治評論のレッテルを貼られるのが落ちかも知れない。

 

さて、本題に入ろう。日本がバブル崩壊後いわゆる空白の10年間に陥ったことで、経済ばかりでなく、日本人の価値観も大きく変わっていった。当然、政治もこれに反応する。自民党をぶっ壊すと公言した小泉内閣の誕生、そして国民の官僚に対する不信感が極まったことで、今や55年体制は完全に崩壊した。しかし、それに代わる新しい政治システムは未だ出来ていない。

 

小泉首相は強いリーダーシップを示し、不良債権の処理、道路公団と郵政の民営化で改革を進めたが、新しい政治システムを確立したわけではなかった。その跡を継いだ阿倍政権は自民党に対しても国民に対してもリーダーシップを発揮することが出来ず、わずか一年という短命に終わった。現在の福田内閣は、衆参両議院における与野党のねじれ現象の下で、リーダーシップどころではなくなっている。

 

カーティスは、日本の政治システムが社会の変化に後れを取ってしまった点が問題の根本にあると指摘する。リーダーとなる政治家には、「説得する政治」のための努力と戦略が必要である。妥協し、対決し、新しい競争力のあるダイナミックな政治を作ることが日本の政治家に求められる最大の課題という。

 

そのためにも、もう一度構造改革を進め、変化を求めるべきである。もちろん、改革が全て良い結果につながるわけではない。しかし、閉鎖的に内にこもれば、日本の将来はない。彼は政治家が改革について国民に分かり易く説明し、説得するという政治を展開する必要があると主張する。

 

欧米の政治を実体験として理解できていない日本人には、ややもすれば「日本の政治はやはり三流」といった自嘲の言葉が出てしまうが、カーティスは日本の政治が欧米より劣っているとは見ていない。政治はそれぞれの国の文化や歴史に基づいているからである。明治維新、戦後の経済復興で見せたように、日本人は思いきって日本を変えていくべきであるというのが彼の結びの言葉である。

 

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の2008825日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

 

 

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