政治の行方(2008.9.30)
わずか二年で阿倍内閣、福田内閣と二代続いて首相がその座を投げ出したのを受け、麻生内閣が誕生した。
五年半の任期を全うした小泉元首相の評価は功罪分かれるというのが一般的な意見であろう。しかし、私は、彼が自らの政策を頑なまでに押し通し、当初、あれだけ非難されていながら、構造改革を通して景気を回復させた点を評価している。
ところが、その後の二人の首相は明確な理念と政策実行能力を示すという点で、国民の目から見て頼りなさしか浮かばなかった。福田前首相について言えば、衆参両院のねじれ現象が彼を挫折させたというが、政治の世界で議会(国会)と政権がぶつかるなど、海外では別に珍しいことではない。アメリカでも、大統領が共和党であっても、議会は民主党が優勢という状況は当たり前にありうる。政治家に求められることは、いかに相手を説得するか、そしてどこで妥協するかを示すことであり、その粘り強さがなければ政治家としては失格となる。政治家の能力とは、一種駆け引きの能力である。その駆け引きの卓越さがまさに政治家の手腕である。この点からすれば、やはり日本の政治家には、アメリカやイギリスの政治のダイナミズムとしたたかさはない。
福田前首相の辞任で衆議院解散は既定の路線となり、麻生新内閣は小沢民主党と雌雄を決する役割を負った。ところが、新内閣は、発足早々、中山国交相の失言問題で躓いてしまった。
中山国交相の失言については、今更それを云々するには、あまりに馬鹿らしいものであった。むしろ、あの程度の発言しかできない人物が大臣に任命されることの方が大きな問題であろう。彼がどのような思想を持っていようが、それは彼の勝手である。しかし、立場を考えた上で言葉を選べないようでは、政治家としては失格である。彼のようなタイプの政治家はもはや時代遅れとしか言いようがない。
正直なところ、私には、麻生内閣でいまの日本が直面している問題が解決できるのだろうかという疑問が沸いてくる。彼の主張は、構造改革は三の次で、まずは景気回復、そして財政基礎収支の均衡は棚上げになりそうである。おそらく、景気対策と称して、かなりの財政投入を進めるのであろう。世界の経済がますますグローバル化する中で、日本の産業構造は急速に変化してきた。いまさら、公共投資に金をばらまいたところで、経済の回復につながらないことは、1990年以降の日本の経済の動きが証明している。事実、小泉政権下で構造改革を進めることで、景気を回復させたではないか。