『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』 ミア・カンキマキ(著) 末延弘子(訳) 20218月 草思社

 

 

日本に行ったこともなければ、そもそも日本語が全く分からないフィンランドの女性(著者)が、枕草子を書いた清少納言に憧れて日本に行くことを決断することから話は始まる。

 

日本の古典文学は西洋でも知られているが、紫式部の源氏物語に比べれば、枕草子は圧倒的にマイナーである。平仮名さえも読めない著者が、英語の翻訳本を頼りに枕草子という日本の古典文学に飛び込んで行ったというのは、大したバイタリティである。

 

この本、日記風の随筆とも、本人が言うように文学的な自伝紀行文ともいえる。人間や自然に対する鋭い洞察力、頭の回転の速さ、そしてユーモアのセンスを備えた清少納言に感情移入し、かつ自らと重ね合わせつつ、この宮廷女房の人生像に踏み込んでいく。

 

といっても、古典文学をウンチクする内容ではない。ゴキブリがでるような外人向けぼろアパートに身を置いて過ごした京都の生活、図書館での古文書の調査、そして周りの人との交流等々、清少納言流に筆にしたためていく。なかなか軽妙洒脱な文章である。

 

主題の枕草子、私にとって、高校で習った古典文学の代表作であるが、よくよく考えれば、教科書に男女の逢瀬のお話しは無かった。文部省検定ともなれば、色事を載せるわけにはいかないと言うことか。さわさりながら、男女の話は枕草子の重要な部分でもある。この当時は通い婚、男女関係は結構開放的であったのだと、今更ながら教えられた。

 

清少納言がなぜ枕草子を書いたのか、清少納言のその後の人生はどうなったのか、ほとんど不明であるが、著者が描く様々な憶測はなかなか面白い探求である。清少納言が中宮定子に遣えていたのは僅か10年ほどに過ぎない。宮廷における藤原氏の権力争いの結果、定子の死後、清少納言は歴史から消える。

 

高校時代、受験で嫌々ながらも勉強させられた古典ではあるが、今になれば一寸懐かしい思い出が蘇る。

 

 

 

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