リオ・オリンピックが終わって (2016/8/24)

 

 

リオのオリンピックが終わり、色々と教訓を残した。もちろん、過去最高のメダル獲得数を達成し、2020年の東京大会に向けた士気が上がったことは、日本にとって率直に良い話である。

 

その一方、ドーピング問題でIOCの体たらくが話題となった。

 

世界反ドーピング機関(WADA)がロシアのドーピングは国主導で行われたものであり、ロシアの出場を禁止すべきだと主張したのに対して、IOCはその判断を各競技団体に任せるとして、責任逃れをした(というよりも、判断を逃げた)。勿論そこにあったのは、大国ロシアと事を構えたくないという政治的な理由だけでなく、開始前から運営に不安があったリオ・オリンピックの興業をさらに悪化させたくなかったためである。

 

そう、IOCにとって興行成績は一番の関心事である。オリンピックの開催にあたり、IOCの懐には莫大な放送権収入が転がり込む。放送権料はIOCの利権そのものである。次期東京大会が秋ではなく、夏場、しかも盛夏の時期となったのも放送権料収入の確保にあった。その理由は簡単、秋は欧州ではサッカー、米国では大リーガーの試合で放送枠がぶつかり、放送権料が下がるからである。

 

この優柔不断なIOCの態度とは裏腹に、リオ・パラリンピックからのロシアの排除について、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はロシアの異議申し立てを却下した。当然である。WADACASの論理は首尾一貫している。ドーピングは悪であり、それを国ぐるみで行ったロシアは、参加から排除されるべきである。

 

さて最後に閉会式で安倍首相がマリオに扮して登場した件、国内での評判はかならずしも良くなかったが、海外では概ね前向きの評価にあった。日本では首相が出る幕ではない、あるいは単にダサいという意見が多かったように思う。が、個人的には悪くはなかったと思う。オリンピックは、建前上、国同士の競争ではないが、実態はそうなっている。であるがゆえに、東京大会開催に向けて、多額の国費が投入される(全てが東京都の予算で賄われるわけではない)。

 

開催式を見ても分かるように、日本選手団は役員を先頭に、くそ真面目顔に行進している。その一方、他の国の選手団はもっとおおらかに楽しんでいる。オリンピックは国旗を掲げて楽しむ場なのだから、もっと弾けてもいい。そんな意味で、安倍首相がおどけてマリオになり、閉会式の場に現れたことは、一歩も二歩も前進だと、私は思っている。建前論やくそ真面目だけでは、面白くも何ともない。

 

 

 

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