大臣の資質 (2018/5/16)
大臣の中には、その資質を疑問視される方が結構おいでになることは今や常識。このところ新聞を賑わせているのが麻生財務大臣である。公文書偽造問題で問題となった国税長官、その後の事務次官のセクハラ問題では、財務省の身内を守りたかったのか、それともから自身の放漫さなのかはわからないが、方言と失言を繰り返し、そのたびに野党のみならず世間からも非難の声が上がった。
前事務次官のセクハラ問題では、事が発覚してから一ヶ月が経った昨日、麻生氏はやっと公の場で被害者に対する謝罪を口にした。いろいろと放言を繰り返した挙げ句、結局、頭を下げることになった。一般の人の目からすれば、追い詰められて頭を下げるのならば、つまらん放言などやめておけという話にしか見えない。政治家としての評価を下げただけである。
今朝の新聞を見ると、自民党内からも彼の放言に対して懸念の声が上がり始めたというが、少々遅すぎる。彼の立場は、副総理であり、財務大臣である。少なくとも、長年議員を務めた功労の「ご褒美」で大臣の肩書きを貰った政治家とは違うはずである。ところが、麻生氏の言動は政治家としての賢さや老練さとはほど遠いものにしか見えない。朝日新聞の記事で、北海道大学の加藤広重教授が、「麻生節の特徴は、本音を語り、いろいろな情報を端折って結論だけを端的に言うスタイル」とコメントしている。彼のこのスタイルについて、自民党内には彼を「親分肌」と持ち上げる議員もいるが、政治の世界がヤクザの世界と同等ではお話にもならない。政治家にとってその言葉は命であるはずだが、彼の場合はそうではなさそうである。
彼が総理大臣を務めていた当時、石原慎太郎氏が「このごろは、総理大臣だって1年で辞めちゃう。中には、漢字の読めないヤツまで出てくる。この人が勉強しろって言ったって、国民は聞かないよね」という言葉で麻生氏をこき下ろしたことを思い出す。(麻生大臣が「頻繁」を「はんざつ」、「未曾有」を「みぞうゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだ話は有名である。)
「放言、失言、そして漢字の誤読も、彼の政治家としての資質の問題としか見えてこない」と言ったら、酷だろうか。