『PIXAR 〈ピクサー〉
世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』 ローレンス・レビー(著) 井口耕二(訳) 2019年3月 文響社
原題は「To PIXAR and Beyond」。原本でも読みやすい。
スティーブジョブズの話を知っている人ならば、ピクサーの歴史をご存じの方も多かろう。
ピクサーは、ルーカスフィルムが設立したコンピューターアニメーション部門を、アップルを追われたジョブズが買い取ったものである。当初、CGがそのビジネス領域であり、CG作成用のコンピューターの市場は小さく、事業としては赤字続きであった。
ジョブズはアップルを去る際に受け取った金(ストックオプション)をピクサーの経営につぎ込んだが、その行き先は全く不透明であった。
ジョブズ自身はピクサーの事業を軌道に乗せ、株を公開(IPO)することでキャピタルゲインを手にすることを目論んでいた。いわゆるシリコンバレーの起業家が、IPOを通して億万長者になるという成功物語の筋書きである。
ジョブズは、そんなピクサーをIPOに向けて立て直すために弁護士であるローレンスを傭った。
ローレンスはピクサーの事業と資金調達のための計画を策定し、それを実行していく。市場が限られたCGコンピューターの事業を捨て、その技術を使ったアニメーション映画の作成へと事業領域を変えていく。
ピクサーの経営資源は優秀かつ情熱を持った技術者や芸術家であるが、事業運営はそれだけではうまく行かない。運転資金の調達、作品の販路を依存するディズニーとの片務的な契約、そしてIPOを実現するための企業価値の向上と出資者捜しなど、問題は山とある。
ローレンスは、それを一つずつ解決していく。
まずは大当たりとなるアニメーション映画を作ること。それを「トイストーリー」で実現し、それを梃子にIPOに至る。IPOを通して資金的な目処を立てた上で、ディズニーとの片務的な契約の見直し交渉を進める。そして最終的には、ピクサーそのものをディズニーに合併させる事で、長期的な事業の安定を図る。事業運営のサクセスストーリーの実現である。
しかし、事業運営には哲学がなければならない。利益が確保できなければ事業は存続できない。利益を出すだけで哲学のない事業に存在意義はない。ピクサーにとっての存在意義とは、ピクサーがピクサーであり続けるというアイデンティティである。例え、ディズニーと合併しても。
CGアニメーション作りには、一方で技術者・芸術家の感性と誠実な熱心さが不可欠であり、他方、それを事業に結びつける経営、そこには金勘定や官僚的なマネジメントが必要である。その絶妙なバランスがピクサーの事業基盤であり、アイデンティティであることを具現化した。これはローレンスの哲学であり、ジョブズもそれに同意した。
最後にローレンスが述べているように、彼は東洋的な哲学や瞑想といった人の内面にある規範と、西洋科学的なビジネスの両立をピクサーに見つけたようである。ちなみに、冷徹な事業家という側面を持つジョブズが禅に傾倒していたことは有名な話である。
ちょっとロマンのあるビジネスストーリーではないか。
日本語訳の副題は「世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」であるが、原本の副題は「My unlikely journey with Steve Jobs to make entertainment history」、つまり「エンターテイメントの歴史を作るためのスティーブジョブズとの考えられないような旅路」である。私には原題の方がしっくりする。