石原都知事、再度、オリンピックの招致 —— 果たして、国民の支持が得られるのか? (2011/6/18)

 

 

石原都知事は、よほどオリンピック招致に未練があると見える。今回は、大震災からの復興をうたい、2020年の開催を目指したいとのことであるが、果たして、国民の支持がどれほど得られるのだろうか?

 

大震災以降、石原都知事が大震災の復興について、どれだけの支援をしようとしてきたのか、私は寡聞にして知らないが、なんとなく、今回の大震災をだしに、「オリンピックの夢よ、もう一度」と言い出したに過ぎないように見える。

 

基本的には、東京都民のお金で招致を図ろうというのだから、都民ではない私が口を出す筋合いではない。しかし、一国民としては、なぜ今さら東京オリンピックなのかという疑問を持っている。

 

1964年の前回の東京オリンピックは、戦後の復興、そして先進工業国への仲間入り、つまり国威高揚という共感が国民の間にあったし、その成果もあった。しかし、今や、日本の社会構造、これから目指すべき国のあり方は、当時のものとは様変わりしている。官僚主導、政治と経済の東京への集中という中央集権的な日本の発展モデルは、とうに時代遅れとなってしまった。経済はグローバル化し、いちいち東京にお伺いを立てて、事業経営を図るという企業はもはや少数派である。むしろ、東京一極集中の弊害が突出し始めており、今回の東日本大震災が東京にすべての機能を集中させることの危険性を浮き彫りにした。

 

加えて、金融の世界を見ても明らかなように、東京の地盤沈下は激しく、シンガポール、香港、上海に抜かれてきている。なぜそうなったかを考えるべきであろう。企業は市場の流れに沿ってグローバル化したが、半面、政治は全くだめだった。日本だけでしか通用しない論理でつまらない規制と保護にしがみつき、結局、海外の企業は東京を見捨て、あるいは素通りして、遙かに巨大な中国の市場に移ってしまった。東京がお山の大将でいられたのは、過去の話に過ぎない。

 

国に活力を与えようというのであれば、東京一極集中を改め、いかに多様化を進めるかに知恵と金を使う方が遙かに有効である。これからの50年、100年は東京あっての日本ではなく、アジアの中での日本である。こと経済という視点で議論するならば、東京がそれほど意味のあるものではなくなってきている。早い話、上海に行くのであれば福岡の方が便利であるし、トヨタ自動車も成田からではなく、中部国際空港か海外を結ぼうとしている。

 

前回のオリンピック招致では、100億円規模の予算を使ったとも言われる。石原都知事は、前回の招致落選では、確か「いい夢を見させてもらった」という趣旨の発言をしたと記憶するが、多くの都民と国民は、彼の夢のためにさらに100億円の金を使うことに、多分、賛成はしないだろう。

 

 

 

 

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