岡本行夫講演 (2006/7/8)

 

昨日、横浜市が開催した「2008年開港都市サミット誘致講演会」に出席しました。お話は、外務省の北米第一課長の職を最後に退官した後、岡本アソシエイツを立ち上げ、最近では小泉首相の補佐官を勤められた岡本行夫さんでした。

 

聴衆を飽きさせないお話ぶりはさすがでした。題目は「2025年の国際情勢と日本人」と少々固めでしたが、切り出しは、彼が外務省にいた時代、それも若かれし頃、サミット会合において首脳会談の書記をやらされた時のこぼれ話から始まりました。

 

最初の30分は、なにやら与太話風でもあり、個人的には講演の内容としてこれだけなのかと思いつつも、大臣や首相を「肴」にしたちょっときわどい部分もあり、出だしで聴衆の関心を引きつける話術は大したものと感心しました。

 

さて、彼が最も主張したかったことは、今後、10年、20年後、日本がアジアそして世界の中でどのような存在となるか、そして日本人は世界の中でどのようにリーダーシップを発揮すべきかだったのでしょう。

 

将来の日本の存在感については、彼はマージナライズ(marginalize)という言葉を使っていました。マージン、すなわち端っこに追いやられるというものです。特に、政治的、そして経済的にも大きな力を持ってきている中国との関係で、日本が国際社会で「端っこ」に追いやられる可能性があるということです。

 

中国は年率8%を越えるスピードで経済成長し続けています。日本の10倍以上の人口を抱えるわけですから、経済規模(GDP:国内総生産)で日本を追い抜くのは時間の問題です。これは国の大きさを考えれば当然のことです。

 

しかしながら、日本にとって大きな問題は、中国の成長と共に国際社会における日本の発言権、あるいは存在感が弱められつつあることでしょう。特に、両国の間にある政治的なギクシャクした関係から、これが顕著になって来ています。

 

最近では、日本が国連安全保障理事会への常任国入りを働き掛けたときに、中国は韓国と共に強い反対の姿勢を示し、各国に対して日本の常任理事国入り反対を強く働き掛けたことは記憶に新しいところです。しかも、アジア各国に対する中国の政治的な説得工作は成功しました。

 

また、中国国内に目を向ければ、昨年、「小泉首相の靖国参拝」を切っ掛けとして、中国で大規模な反日運動が起きた時のニュースも、私たちは鮮明に覚えています。

 

日本人の多くにしてみれば、戦後、アジア諸国に対して多額の経済援助を行い、第二次大戦について、中国を含めて近隣諸国に頭を下げ続けてきたのに、なぜなのだという気持ちは偽らざるところです。また、どうして日本の現在の姿を理解してもらえないのだという気持ちも強いと思います。

 

他方、中国政府は1990年代の江沢民の時代に入り、「日本は大戦中に中国人民をこんなに苦しめたのだ」という思想教育を子供達に徹底的に植え付けてきました。このような中国のやり方に、戸惑い、いや昨年の反日デモのニュースが流れたときには、中国政府の思想教育に反感を覚えたのも事実です。

 

ただ、日本と中国との間でこのような大きな隔たりが顕在化していることは、紛れもない事実です。岡本さんが言うように、日本の立場として、中国の「反日思想教育」は間違っているとはっきり言うべきは当然のことです。

 

しかし、日本側も問題を抱えています。戦争が終わって、すでに60年になろうとしていますが、戦争について日本および日本人が明確な総括をしてこなかったことが、近隣諸国との関係で、未だに尾を引いているのでしょう。例えば、日本の学校の授業では、明治以降の歴史は余り深く取り扱いません。とりわけ第二次大戦当時の出来事については、歴史的な判断が定まっていないという理由から、学校も教師も深くは触りたがりません。

 

その結果、おそらく今の若い人たちにとって、第二次大戦とはすでに関心が薄れてきてしまった「過去の出来事」というのが実態なのでしょう。その結果、アジアの近隣諸国の人たちとの関係で見れば、日本の戦争責任についての考え方に、大きなすれ違いが起きることは容易に予想されます。その結果として最悪なのは、これまで繰り返してきたように、本質的な議論を曖昧にしたまま、また彼らに対して日本が頭を下げ続けることでしょう。これはまさに最悪のシナリオです。

 

これも岡本さんの言葉ですが、中国では江沢民時代以降、反日思想教育を受けた人たちがこれからの党の中枢、政府の中枢に入ってきます。その時、日本はどのように対応するかを考えておかねばならないでしょう。少なくとも、国際社会に対して明確な主張ができなければ、これから経済的にも発言権を強めてくる中国やインド、あるいはロシアによって、日本は国際社会で「端っこ」に追いやられてしまうという危機感は持たねばなりません。

 

最後のお話で、岡本さんは、人には「プロアクティブ」な行動を取る人と、「リアクティブ」な行動しか取れない人がいると言っていました。彼は、プロアクティブとは自発的に行動するという意味、リアクティブとは他人に言われて行動するという意味合いで使っています。

 

岡本さんは、プロアクティブな行動の引用として、イラク支援の中でテロに倒れた外務省の奥克彦さんの話を出されました。あの社会的な大混乱と治安が悪化する中で、彼は自らの命を懸けてまでイラクの復興につくしました。私は、当時、外務省は役所としていろいろと批判される出来事が多かった頃と記憶しています。そのような中、奥克彦さんの行動は、外務省にはあの様な立派な人がいるのだということを示してくれました。ご冥福をお祈りします。

 

さて、最後になりますが、今回の講演を聴きに来た人たちは大半が年配の方で、ざっと見渡しても若い方達の参加があまりなかったようです。少々残念な気がします。

 

 

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