日産自動車の企業統治力 (2018/11/25)

 

 

先週初め、日産自動車の経営を牛耳ってきたカルロス・ゴーンが東京地方検察庁に逮捕されたというニュースがいきなり入り、その後、彼の報酬に纏わる不正行為の数々が明るみに出てきた。メディアの論点は、巨額の報酬を貰いながらさらに何十億円という金を裏で懐に入れていたというその金額の大きさ、あるいはこの出来事が日産自動車のルノーに対するクーデターではないかという疑惑の二つに絞られていたような気がする。

 

私がこのニュースを耳にしたとき思ったことは、日産自動車の企業統治、すなわちガバナンスはどうなっていたのだという疑問である。少なくとも有価証券報告書を誤魔化したならば、担当部署や経理部門は必ず不正を知っていたはずである。逮捕容疑となった報酬は2010年から2014年の5年間についてだから、もう8年も前からの話である。この不正がそれ以前からもあったのではないか、という疑問は当然湧いてくる。

 

そんな状況を考えれば、役員がこの不正問題を長きにわたって知らなかったとは到底思えない。今回の事件がクーデターかどうかは別として、ここに来て社長以下日本側の経営陣と関連部門の責任者が、もうこれ以上不正を隠すことは無理だと判断し、東京地検と司法取引したと考えるのが妥当であろう。となれば、日産自動車の経営には企業統治がまったく機能していなかったことになる。

 

日産自動車の歴史を振り返れば、経営そのものに問題ばかり抱えていた。

 

1970年代、その当時の日本の自動車市場はトヨタと日産が寡占を握るという、ある意味日産にとっての黄金時代であった。しかしその一方で、日産の経営は内部抗争に終始していた。一番の癌は労働組合であり、会社と蜜月の関係(これを労使協調路線と呼んだ)を作った報償として、当時の塩路(労組)会長は経営のすべてに口を挟んだ。役員人事から事業の海外進出まですべての経営判断は労組、すなわち塩路会長の了解を得なければならなかったという。

 

その時の塩路会長は、組合で長きにわたって独裁者の立場を築き、労働貴族の名を頂戴していた。が、贅沢三昧の生活というスキャンダルを週刊誌に暴かれたことで、その運命は一転した。それまで不満を募らせていた組合員によってその地位を解任され、最終的には自動車労連と自動車総連の会長の座を降りるに至った。1986年のことであった。当時の石原社長は、組合(塩路会長)対策のために経営に従事する時間の半分を費やしたと語っていた。

 

その後、日産は販売戦略に失敗を重ね、凋落が続いた。そしてついに2兆円の借金を抱えて倒産寸前にまで追い込まれ、ルノーに救済されるに至った。自らを技術の日産と呼びながら、その実はまったく企業経営が出来ていなかった。

 

確かにゴーンの経営手腕のおかげで、一度潰れかけた日産は蘇ったが、こと国内では今や見る影もない存在である。中国で利益を上げている以外、米国を含めて際だった業績を上げているわけではない。

 

私は、日産が抱える真の問題は企業統治の不在と経営体制そのものにあると思っている。

 

 

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