国家観 (2016/9/11)

 

 

今朝の朝日新聞の「声」、つまり読者の投稿欄にこんな意見が出ていた。「国旗や国歌 寛容さが必要」、50歳の会社員の主張であった。

 

彼自身は日の丸や君が代は否定しないが、国旗や国歌の下に全てを統一し、従わない者にペナルティーを科すなど言語道断と言う。その理由は、彼の沖縄三味線の師匠が「日の丸を見ると日本の兵隊を思い出す」と語った言葉にある。その三味線の師匠の思いは、それなりに説得力を持つ。

 

実は、すでに無くなった私の母親が同じようなことを言っていた。今から50年も60年も前の私の子供の時代の話である。昭和20年代から30年代前半は、町内揃って祝日には国旗を掲げるという光景がごく普通に見られた。勿論、全ての家ではないが、殆どの家の玄関先には国旗が出ていたし、町内会の回覧板にも祝日には国旗を掲げようといった趣旨が載っていたと記憶する。しかし、私の家では国旗を掲げなかった。そもそも、国旗というものが無かった。

 

母親がその理由を語ったことがあった。両親は、満州(厳密には今の北朝鮮の北部であったらしい)からの引き揚げ者であった。終戦と共に、北から攻め込んだソ連軍に追われ、命からがら米軍が占拠した38度線まで逃げて、ようやく助かった。逃避行では、手元にあった国旗で身の回りの品を包んでいたという。つまり、母にとっての国旗には、無謀な戦争、その結果としての国家の崩壊、そして死ぬか生きるかという瀬戸際を歩んだ惨めな思い出しかなかった。ある意味、前述の沖縄三味線の師匠の思いと共通点がある。

 

話は日本から離れるが、20年以上前に私が米国で働いてきたときの英語の先生の言葉を思い出す。教室に星条旗が掲げてあり、国家を斉唱するとともに国への忠誠を誓うという儀式がある。この英語の先生は「私はそれをしません」と言っていた。国が国民に愛国心を強制するときの、なにやら胡散臭さがあったのだろう。国民が国家や政府を作るのであり、国や政府が国民を支配するものではないという原点が常に存在する。

 

国、それを構成する国民、民族としてのアイデンティティは必要である。しかし、それが国の押しつけとなり国旗・国家と愛国心が統一視されると偏狭な国家史観に陥る。

 

 

 

説明: 説明: SY01265_古い出来事」目次に戻る。

 

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: door「ホームページ」に戻る。