番組改編問題でNHK勝訴。しかし、・・・(2008.6.16)
NHKの番組改編問題で争いとなっていた裁判で、最高裁はNHK勝訴の判決を下した。インサイダー取引問題を含めてこれまでゴタゴタが続いていたNHKにとって、最高裁の判決は胸をなで下ろすものとなった。
そもそもこの裁判は、従軍慰安婦問題を巡る民間法廷をとりあげた特集番組でNHKが自民党政府からの圧力により放送内容に手を加えたとして、取材に応じた民間団体が「取材を受けた際に説明されたのと異なった趣旨、内容の番組に改編され、自分たちの期待権が侵害された」としてNHKと番組制作会社を訴えていたものである。
一審、二審ではNHKが敗訴したが、最高裁の判決は「訴えを起こした市民団体の期待権を認めない」というものであり、NHKの逆転勝訴となった。
この判決の要点は、最高裁は一審、二審が下した損害賠償の適用範囲を限定し、NHKの編集の自由を広く認めたことである。また、もう一つの論点であった編集改変が自民党からの圧力で行われたという民間団体側の主張については、判決は何も触れていないと報道されている。新聞の補足説明によれば、何も触れなかった理由は「期待権を認めなかった」以上、改変の理由を判断する必要がない、というものである。
この判決について、翌6月13日の新聞各社は社説でこの問題を取り上げた。まず、各社ともに報道メディアの番組編集の自由は評価している。これは真っ当な意見であろう。
しかし、自民党政府からの圧力の有無については、読売新聞だけが非常にNHKを擁護する立場をとっている。読売は、「最高裁判決は、NHK幹部と国会議員1人との面会を認定しただけで、番組編集との関係には言及していない」、「何より、(市民団体の)訴えを認めた2審判決ですら、『政治家が番組に関して具体的な話や示唆をしたとまでは認められない』としていた事実は重い」と述べるだけである。すなわち、読売の主張は「NHKは自民党からの圧力で番組を改編してはいない(であろう判断できる)」というものである。
これに対して、朝日新聞と日本経済新聞の社説のトーンは異なる。
朝日は、「NHKは予算案の承認権を国会に握られており、政治家から圧力を受けやすい。そうであるからこそ、NHKは常に政治から距離を置き、圧力をはねかえす覚悟が求められている。裁判が決着したのを機に、NHKは政治との距離の取り方について検証し、視聴者に示してはどうか」と指摘し、「どのような放送をするかは放送局の自律的判断」という最高裁判決はNHKに重い宿題を負わせたといえる。この宿題にきちんと応えることが、公共放送としての信頼につながる」と提言している。
日経も同じような主張である。「最高裁判決で救われたものの、報道・表現の自由の基盤を危うく自らの手で掘り崩すところだったNHKには十分な反省が要る。そしてその反省は、メディア全体が他山の石としなければ、と自戒したい」と結んでいる。
少なくとも私には、朝日や日経の意見の方が健全に感じる。NHKはこの番組制作段階で自民党の議員に会ったことを認めており、予算承認で首根っこを押さえられているNHKが自民党の顔色を伺い、番組に手を加えたと考えるのはごく自然である。
最高裁の判断は、裏を返せば「例え政府の圧力で番組を改編したとしても、それはメディアの番組編集の自由である」ということである。この点で、NHKは裁判では最終的に勝ったが、彼らが常に使う「公共性」という言葉について大いなる疑義を生じたという大きな汚点を残したままである。なぜ、読売があのようなお気楽な社説を載せたのか私にはわからないが、NHKは裁判では勝ったものの、彼らの中立性に対する疑いは晴れていない。