NHK問題 (2007/2/19)

 

NHK問題、いわゆる受信料の不払い問題が社会で大きく取り上げられるようになったのは、この3年ほどのことである。2004年にプロデューサーによる番組制作費の使い込み、不正な経理処理が発覚し、今度は、職員の麻薬所持、万引きといった不祥事が続いた。加えて、「皆様の公共放送」と自称するNHKが番組制作にあたって政府や与党に対してきわめて政治的な配慮をしてきたという疑いが持ち上がり、NHKに対する不信感をいっそう募らせるものとなった。

 

その結果、2005年頃から受信料の支払い拒否や保留の数が拡大し、一次はその数120万件を超えるに至った。そもそも、契約自体を行っていない未契約が1000万件あると見られ、事業所を含めた約4600万の契約対象数の約三割が受信料を払っておらず、NHKの経営の存続基盤を揺るがす事態となっている。

 

さて、NHKに対する国民の不信感は、いったいどこから来ているのだろうか。私は、大きく二つの原因があると思う。

 

一つは、NHKが公共性を追求し、公正な報道を行っているとは言い難い現状がある。NHKのチーフプロデューサーの内部告発により、2001年にNHKが放送した「問われる戦時性暴力」の内容について、NHKが与党政治家に内容を事前に説明し、その内容が改変されたという事実が明らかとなり、「NHKの中立性、公正性」を大きく疑わせるものとなった。

 

(注)          従軍慰安婦問題を巡る民間法廷を取り上げたNHKの特集番組(2001年放送)に取材協力した市民団体『戦争と女性への暴力』日本ネットワークが、無断で番組内容を改変されたとして、NHKなどに損害賠償を求めた裁判で、二審の東京高裁は、制作会社のみへの損害賠償を認めた一審判決を変更し、「国会議員らの発言を忖度(そんたく)して番組を改変した」と断じ、NHKと制作会社に総額200万円の支払いを命じた。NHKはこれを不服として、即日上告した。

 

NHKは受信料を収入とすることから、毎年の予算承認が国会に委ねられている。つまり国会で予算が承認されなければ、その年度の経営が行き詰まってしまう。当然、多数与党である自民党の政治介入を招き、政治との微妙な均衡を保とうとする。朝日新聞との間の泥仕合となった「従軍慰安婦の番組放送改変に自民党議員が関与した、しない」という論争は、まさにこの点につきる。正直なところ、多くの人がNHKの中立性を疑っている。NHKが「国営放送」呼ばれるゆえんである。

 

もう一つは、NHKの経営そのものに対する不信感である。現状で約三割の未払い、不払いがあるとはいうものの、税金並みの受信料という名の収入が保証されている。その結果、NHKの経営は受信料という利権をいかに拡大し、そこで得た予算を消化するかという、お役所の構造に陥る。ラジオを含めて8チャネルを保有し、通信料が市場競争と技術革新を通して下がっている中で、NHKの受信料だけは下がっていない。

 

もっと深刻な点は、NHKは公共放送として質の高い番組を提供していると自ら主張しているが、視聴者の評価は大きく異なることである。例えば、受信料の不払いが拡大の一途をたどっていた200510月に、日経新聞は、自社の調査で57%の人が「NHKがなくなっても困らない」という結果が出ていると報道した。その理由は、「NHKの番組が民放と比べて優れているわけではない」、あるいは「NHKを見ない」というものであった。つまり、NHKが自画自賛するのはよいが、国民はそれを認めていないと言うわけである。

 

すでに、公共放送というNHKのビジネスモデルは、放送と通信の融合によって、完全に時代遅れのものとなっている。NHKは、公共放送の使命として、災害時の放送や、全国民への情報の提供をあげるが、今の世の中、災害時にはインターネットのニュースや、携帯電話を使った情報の収集の方が遙かに役に立つ。

 

NHKとしては、携帯電話やパソコンも受信機として受信料の対象として収入の拡大を狙うが、そもそも公共放送の役割が怪しくなっている中で、国民の目からみれば、これは単なる利権の拡大としか写らない。

 

結局、このような問題を突き詰めていけば、NHKの民営化や番組のスクランブル化といった議論に行き着くのは当然の成り行きである。

 

 

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