『ものがわかるということ』 養老孟司 20232 祥伝社

 

 

私がこれまでに読んだ養老先生の本と言えば『バカの壁』くらいである。かれこれ20年前の本である。たまたま、朝日新聞の書評に新刊書の紹介があったので、手にすることとなった。

 

本人曰く、ブツブツ呟いた内容を集大成した随筆である。が、読んでいる内にいつの間にか共感してしまう。

 

そもそも今の時代、全て合理性とスピードが大事で、物事に手間暇かけていたら周りから置いてきぼりを食ってしまう。先生に言わせれば、そんなことをしているから、人間、モノを考えなくなってしまう。確かに、インターネットをググれば簡単に情報が集まるし、人工知能(AI)を使えばそれを纏めてくれる。確かに便利で早いが、結果を鵜呑みにすると結構危ない。

 

先生の論に従えば、理解するためには身体を伴わねばならない。手足を使い、無駄を踏んであれこれ考えるから本当に理解できる。なるほど、なるほど、体験して「わかる」ことと、頭の中で「わかる」ことでは雲泥の差があるというわけだ。

 

世の中、理屈だけで成り立っているわけではない。森羅万象、人間の頭で簡単に解き明かせるものではなかろう。わかるとは意識や理性を外し、共鳴することである。先生のお言葉である。

 

 

 

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