やっと決まった「もんじゅ」の廃炉 (2016/9/22)

 

 

昨日の原子力関係閣僚会議で、もんじゅの廃炉が実質的に決まった。当然である。余りにも遅すぎた。

 

1985年に建設を初め、6年掛けて1991年に完成。1994年に初臨界に達した。しかし、もんじゅの運転はそれで終わりであった。その後22年間に動いたのは、たったの250日に過ぎない。その間、ナトリウム漏れで14年半停止、運転再開の3ヵ月後に今度は炉内中継装置の落下事故で今に至るまで停止したままの塩漬けである。さらに加えて、事故現場の撮影ビデオの隠蔽、機器の点検漏れが発覚し、事業主体である日本原子力研究開発機構の体質そのものが非難されるに至った。

 

これまでに1兆円を超える金を投じたものの、実質的に炉は全く動かず、成果はなく、再稼働の見通しもない。動かない炉を維持するだけで、現在でも年間200億円が消えていく。廃炉は決まったが、廃炉費用に今後3000億円が上乗せされるというオマケ付きである。莫大な無駄使いでしかなかった。

 

ここまでずるずると問題を先送りしてきたのには、二つの理由がある。

 

一つは軽水炉で発生する使用済み燃料から抽出したプルトニウムを新たな燃料として再利用するという核燃料サイクルの考えである。政府はこれを錦の御旗として原子力開発を進めてきた。核燃料サイクルは、下北六ヶ所村の再処理工場の完成と高速増殖炉の完成が大前提である。この内の一つ、高速増殖炉、つまりもんじゅが破綻した。

 

もう一つの理由は地元対策である。もんじゅが存在する限り、地元福井県に多額の金が落ちる。当然、地元は廃止に大反対、それが政治を動かす。勿論、地元は科学技術の進歩を懸念しているのではない。ばらまきの金が無くなっては困るというだけに過ぎない。

 

事が既に破綻していることは明らかになっても、流れを変える決断が出来ない日本の悪癖である。

 

ちなみに1960年代に高速増殖炉の研究開発を先導したアメリカはといえば、1972年に原型炉CRBR(クリンチリバー増殖炉)の建設計画を開始したが、1977年には計画は中止となった。予想される成果に比べて、金が掛かりすぎたからである。それ以降の活動は、基礎研究だけに絞り込まれた。そして残された二つの実験炉も1994年に閉鎖された。議会が予算を拒否した結果である。日本と異なり、政治が機能している。

 

 

 

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