ヨコハマメリー (2006/5/29)
確か数週間前のことだったと思います。うちのかみさんがハマのメリーの記事か何かを見つけて、いきなり「私も、昔、伊勢佐木町で彼女を見たことがある。」と言ったことがありました。実はその時まで、私は「ハマのメリー」が何者なのか、全く知りませんでした。
そうこうしているうちに、たまたま映画の優待券を手にする機会があり、上映中の映画のタイトルを見たところ「ヨコハマメリー」がかかっていました。横浜ではこの映画はかなり評判らしく、早速、かみさんと二人で出かけてみました。
月曜日の昼中のこととて、それほど観客もいるまいと思いきや、あに図らんや入り口で満席の状態と言われ、整理券をもらって座席を確保しなければならないという盛況ぶりでした。周りを見渡せば、中年あるいは定年をすぎたと思われる夫婦連れに混じって、ちらほらと若い人も目に付きました。
ハマのメリーの詳細については、ヤフーを引けば山ほど出てきますので、ここでは説明しませんが、戦後、40年、50年たった1980年代、1990年代まで、真っ白な化粧をして着飾った老婆が伊勢佐木町を歩いていたという光景は、訳を知らない人から見ればかなり異様なものだったのかもしれません。いや、彼女が終戦直後に進駐軍を相手に横浜で街娼をしていたという素性を知っていても、この老婆の姿はやはり異様だったでしょう。
世間の常識から見れば、少し頭がおかしいと思う人がいても不思議ではありません。しかし、このドキュメンタリー映画を見ると、戦後の混乱の中で、いかに人々がたくましく生きていったかを垣間見ることが出来ます。彼女がなぜ娼婦となったのか、その経緯は分かりませんが、多分、それ以外に生きる道がなかったのでしょう。
もう一つ、この映画の中で主人公ともいえる人がいました。元次郎さんというシャンソン歌手です。彼も戦後の混乱期を必死に生きてきた方です。一時は、川崎で男娼もしたことがあるという独白がありました。彼もまた、メリーさんと同様、人には言えない戦後の苦労を背負って生きてきたのでしょう。その元次郎さんが、70歳を越えて腰が曲がっても、相変わらず「白塗り」の化粧で着飾って伊勢佐木町界隈を歩いているメリーさんを金銭面も含めて援助していました。
この映画に出てきた人たちは、戦後社会の中で決して恵まれた環境にはいなかった方々です。世間からは白い目で見られることも多かったでしょうし、世間の冷たさを何度も味わってきたことでしょう。そんな人たちが、実は、人の心を大切にし、人の温かさを持っていたこと、そして彼らなりのプライドを持っていたことに、この映画の感動がありました。
また、私がもう一つ心を打たれたのは、年老いたメリーさんが故郷に出した手紙と、横浜から去った後に元次郎さん宛に送った礼状が、非常に立派な文章であったことです。彼女には、立派な教養が身についていたのです。今の中年以下の人で、これだけの文章を書ける人はどれだけいるでしょうか。
そして、最後の場面では、(多分)故郷に戻ったメリーさんが老人介護の施設に入り、そこではもう「白塗り」の化粧を落とし、ごく普通の「おばあちゃん」となって生活している様子が映し出されました。人生の最後に、ついに明日の生活を心配しなくても良い場所に落ち着いたことを知って、ほっとした次第です。
今の日本では、戦後の話すら消え去ろうとしています。経済的には非常に豊かになった半面、教育の場、職場を問わず、いびつな競争社会の中で、人々の心に余裕がなくなっていると思うのは私だけではないでしょう。この映画は、「幸せな人生とは何であるのか」を見つめ直す良い機会を与えてくれました。