三菱スペースジェット、遂に頓挫 (2023/2/10)
三菱重工業は、国産ジェット旅客機(MRJ*1、のちにMSJ*2)の開発事業を中止すると発表した。
当初の計画では、MSJは2011年に初飛行し、2013年には全日空(ANA)に納入されるはずであった。ところが、米国での形式証明が取得できず、航空会社への機体の納期は6回も延期され、ついに2020年10月には事業が一時凍結されたのだから、この結末は想定される事態であった。
世界でMSJを売るには米国の型式証明の取得が不可欠である。ところが経験の無い三菱重工がこれを成し遂げるには、余りにも力が足りなかった。申請と設計変更を繰り返すうちに、投資予定した開発費1500億円はその6倍を越える1兆円規模に膨れ上がった。よくそこまで引きずったものだと思える。国から500億円の開発費を貰っているという事情もあり、今更後には引けないと、面子に拘り続けた結果であろう。
このMSJの失敗は、同じ頃機体を開発したホンダジェットが2017年以降軽量小型ビジネスジェット機部門でベストセラーを続けるという圧倒的な成功と対比される。
一番の違いは、ホンダは市場が米国である以上、生産から販売まで全て米国行うという選択をしたことだろう。ホンダは世界のホンダであり、技術のホンダであればよい。そもそも日の丸を背負うなどという拘りはない。自動車でも、ホンダの主力マーケットは米国であり、日本ではない。
一方、三菱重工には、国威をかけるという気負いが常にある。国(経済産業省)も三菱重工を強力に後押しした。しかし、今やオールジャパンで取り組めば世界で勝てるという時代ではない。NECと日立製作所の製造部門をエルピーダに統合すれば、世界のメモリー半導体市場で韓国勢に対抗できると目論んだものの、失敗に終わったことがそれを物語る。
優れた技術さえあれば、ビジネスが成立するわけではない。実は、三菱重工は1970年代と80年代にMU-2とMU-300という小型ビジネス飛行機を製造販売していた。米国市場でそれになりに評価され、機数も稼いだが、ビジネスとしては成功しなかった。浮き沈みの激しい航空機製造を三菱重工一社で支えることは難しく、赤字に喘いだ末、製造販売ともに権利を米国ビーチクラフト社に売却してしまった。
MSJも、主力マーケットは米国なのだから、ニッポンの国産旅客機などと気負わずに、米国を中心に開発・設計・製造・販売することを考えていたら、結果は変わっていたのかも知れない。
*1: Mitsubishi Regional Jet
*2: Mitsubishi Space Jet