防衛省とガバナンス (2008.11.23

 

守屋事務次官の背任事件に続き、田母神前航空幕僚長の懸賞論文への応募が問題を起こした。

 

田母神氏の持つ「真の近現代史観」がどうであるかについては、個人の問題として捉えれば、他人が云々する問題ではない。彼には思想の自由があり、個人を責める権利は私にはない。ただし、私は、彼の持つ歴史観は歴史の事実からすれば正しくないし、アジア諸国の人々からすれば誰も支持しない考え方であると思っている。

 

今回の問題が「個人の問題」で済まなくなっていることがまさに問題である。これは、「日本政府の問題」、「防衛省の問題」と考えるべきであろう。彼の考え方を見ていると、非常に純粋であり、彼の特有の歴史観を自ら信じ切っている。私が「個人の問題」ではなく、これは「政府の問題」、「防衛省の問題」といったのは、政府の高官として求められるのは、国際政治を読む力であり、国際社会の動きに常に敏感であるべきという点にある。これは別に、他国の動きを慮ると意味ではない。

 

日中戦争に至るまでの歴史を見ても明らかなように、関東軍による張作霖の爆破殺害、それに続く満州事変の勃発は常に関東軍の暴走によって引き起こされた。この当時の動きを見ても、陸軍省が関東軍を押さえきれなくなっていた様子が分かる。これと同じことが、ノモンハン事件でも起きている。これも関東軍による暴走であり、陸軍本部はこれを押さえることができなかった。関東軍の軍人たちの頭にあることは、自分たちの存在を見せつけることだけであり、国際政治の中で軍隊をどのように動かすべきか、国際問題をどのような形で軍事的に解決すべきか、という戦略的思考は全く働いていない。国家戦略を考えるという発想が完全に欠落していた。

 

結局、戦略もないままひたすら戦線を拡大した結果、勝てる見込みもなくじり貧の戦となり、惨めな敗戦に追い込まれた。それを解決したのは、問題を起こした軍人たちではなく、天皇の英断でしかなかった。

 

防衛省はあくまでも政府の一機関として存在するものであり、幹部の長として立つ者は国際情勢を読む力、国際政治の中で自らの組織がどうあるべきか、そしてどう行動するべきか、を判断する高度な能力が常に求められる。おそらく、田母神氏は制服組の官僚としては「やり手」であり、その結果として、幕僚長という最高の地位にまで上り詰めたのであろうが、この点で彼の能力は問われるべきである。また、彼のような行動を防衛省という組織としてチェックできていなかったことの方がもっと問題であろう。

 

政府、民間企業を含めて、ガバナンス(統治)の重要性が認識されて久しい。先ほどの関東軍の暴走を陸軍省が押さえられなかったのは、まさにこのガバナンスの問題ともいえる。守屋事務次官の背任事件は語るに落ちるが、私には田母神氏の論文問題も防衛省という組織としてのガバナンスの欠如と映る。

 

追記: マスコや国会での論議に際して「田母神論文」という言葉が使われているが、私には、これが「論文」とは思えない。少なくとも彼の論理構成には論文としての十分な傍証データはなく、彼の思いを述べた「随筆」としか見えない。

 

 

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