リベラル その日本的なる解釈 (2017/10/8)
今朝の朝日新聞に「リベラルって何? 衆院選を前に飛び交う背景とは」という記事があった。私も以前からそう思っている。
日本語として使うリベラルの意味は英語のそれとは相当かけ離れている。私の理解は、英語としての意味、すなわち自由主義でしかない。
例えば、アメリカの政治でリベラルいう言葉を当てはめれば、人種に基づく差別の排除、男女間の性差別の解消、性的マイノリティーに対する擁護などが真っ先に思いつく。「リベラルな政治家は誰?」と問われれば、古くはジョンFケネディー、新しいところではバラク・オバマをあげる。
それではリベラルの反対はとなれば、それは反民主的政治や独裁政治である。
ところが、日本ではその様な意味合いには捉えられていない。先月の末のニュースの見出しに「小池百合子 リベラルを排除する」というのがあった。私には何の話か全く分からなかった。「なんで、小池さんは自由主義を排除するの?」というのが、最初に私の頭に浮かんだ素朴な疑問であった。
要は、日本語のリベラルは片仮名英語でしかない。マスコミでリベラルといえば、左派系の政治(端的に言えば旧社会党的な政治思想)や護憲運動派の政治を指している。決して本来の意味である自由主義的思想を意味しない。
冒頭にあげた朝日新聞の記事の中で、北海道大学の吉田教授が、野党は反安倍一点張りで、リベラルという曖昧で耳当たりの良い言葉にすがっているという趣旨を述べている。まさにそのとおり。本来の意味が理解できないまま、マスコミも左派系政治勢力も、かっこの良い片仮名英語を先進的な政治をイメージさせるように使っている。
英語の意味からかけ離れた片仮名英語は五万とあるが、これもその一つであろう。