平成熊あらし(2009/8/3)
昨日は、久しぶりに日本ペンクラブの環境委員会に出席した。今回は、岩崎雅典監督の「平成熊あらし」の上映と、ここ数年起きている熊の異常出没についての議論であった。
ツキノワグマは本州に広く生息している(というより、「いた」といった方が正しいかもしれない)。その数は数万頭とも言われるが、正確な数字はわからない。
数年前であっただろうか、熊の餌になるドングリが不作で、食べ物に不足した熊が冬眠できず、人里に降りて来るという記事が新聞を賑わせたことがあった。ツキノワグマが人里に出没し始めたのは1970年代からと言う。捕獲数はその後増え続け、2006年には、ついにその数5000頭を超え、うち4000頭が捕殺された。もし、熊の生息数が4〜5万頭とすれば、その一割が人の手によって殺されたことになる。これはちょっと異常な数字である。
なぜこのような生態系の大きな変化が現れたのであろうか。結論から言えば、人間の仕業である。人の生活が、熊が生息する山中まで近づき、熊と人間の境界線が密接してしまったのだ。杉の植林でブナやドングリといった広葉樹が減り、彼らの餌(木の実)が少なくなったこと、かつて豊かであった里山がなくなり、熊と人間の緩衝地帯がなくなってしまったこと、が大きな原因となっている。熊は元来臆病であり、自ら人間の生活圏に入り込もうとはしない。しかし、食料となる木の実が手に入らなくなり、人里まで餌を求めて降りて来ざるを得なくなった。
映画では、軽井沢を舞台にそこに生息する(出没する)熊と、人と熊の共存を図ろうとするNGOの姿を映し出していた。しかし、熊が餌を漁るすぐ脇にまでゴルフ場が迫り、1万人の住民の町に、夏場、その10倍の人が押し寄せるというのは、やはり自然環境としてまともとは思えない。危険な害獣だから人里に出てきた熊は殺さざるを得ない、と言うのは人間様の都合であろうが、このような形で日本の豊かな自然を壊し続けていくことが人間のためになるとも思えない。
すでにツキノワグマは九州では絶滅し、四国では数10頭しか生息していないという。中国・近畿地方でも生息数は減ってきている。山の植生を壊し、そこに自動車道を造り、動物たちの生活圏を分断し、結局その付けが動物と人との争いという形で現れる。自然や動物たちとの共存を考えるべき時であろう。